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光秀だけでなく、山崎・賤ヶ岳を制した秀吉も、義昭を利用しようとしていたからな。

養子にしてもらって、将軍足利秀吉として大坂幕府を開こうとしていた(後陽成天皇のの大坂遷都構想まであった)。
義昭が断ったから、仕方なく武家関白・豊臣秀吉になっただけで。

怨恨説はじめ、本能寺の変に関してはいろいろな憶測は可能だが、結局は、大坂城にいる信孝の四国出陣式の当日、信長・信忠父子が丸腰で揃った(もう二度とないだろう)千載一遇のチャンスを逸するわけにはいかなかったことに尽きる。

しかし…信長や同僚家臣たちの手前、事前準備や根回しが不可能だったことが光秀の運命を狂わせた。すなわち、

1.頼りにしていた足利幕府元重臣細川藤孝・上杉景勝が、織田方の報復を恐れて味方を断った。

2.光秀の誠心誠意の仲介で信長への臣従を決めた肝心の長曾我部が、まさかの展開に戸惑って動けなかった(光秀も事前に計画を漏らせなかったため)。

3.(前年に長浜から播磨・但馬への国替えで、姫路を本拠にしていた)秀吉が、電光石火で備中高松から引き返してきた。