>>949
天下人を目指す秀吉は信長がやり残した九州、四国征討が残っていたので
そっちにかなりの軍隊をさかねばならず家康にかまってる暇がなかったんだよ
その点、地方大名にすぎない家康はすべての軍隊を秀吉戦に差し向けたわけで
母と妹をやれば説得できると分かってたからそっちは母と妹に任せた
家康が豊臣政権で太閤の義弟としてのし上がるきっかけにはなったが
朝日姫は1年半ほどで母の看病を理由に家康のもとを逃げ出し
以降は兄秀吉の聚楽第で大政所とともに暮らしてここで没した
恐れていたというほどではないと思う
家康も秀吉が生きてる頃には豊臣姓を名乗り
秀吉に最も近い身内として豊臣家の一員としてふるまっていた