>>301
歴史考察としては氏家幹人の方が磯田道史たぁ事実をゆうてじゃし。
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1476204662/?v=pc
17 : 白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2016/10/14(金) 00:31:56.94
276 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2013/10/30(水) 00:11:48.41
 現実に竹刀遊戯の剣豪じゃ役に立たんよ。江戸期のお役人化した武士より多くの場合まだしも
町人の方が強いんが当たり前じゃないか。 現代の官僚お役人の子倅らが路上で喧嘩しても結果は
見えとろうに(笑) 。
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0710/071004.jsp
花は桜木、男は任侠
「天下泰平が続いて老人さえ実戦経験がない当世では、武士といっても筋骨軟弱で、武術も格好
ばかり。「ぬぐひ板の上にて、なまめかしきかけ声かけて打合は、さながら素肌の勝負と思はる」。
気合いの入らない声で 剣術の稽古をする姿は、まるで「素肌の勝負」。防具を着けず恐る恐る
打ち合うチャンバラごっこのようだという。
「嗚呼【ああ】双刀の士、竟【つい】に息杖一本の雲助に及ばざる乎」の一文。大小を差した
武士が、杖一本を手にした無頼の雲助に敵わない。 残念ながらそれが現実だというのである。
戦うことが使命(存在意義)でありながら戦えなくなった武士と、それをせせら笑うように
台頭してきた 無頼・遊侠と呼ばれる武闘派の男たち。身分でも支配被支配の関係でもない「男」
(戦士)の土俵で繰り広げられた両者の競合と共存が、江戸から今日に至るわが国の男社会に
及ぼした影響を考察しようと 試みたのが、『サムライとヤクザ』である。
 史料の中から、「人は武士? まあいいさ。でも男は任侠だぜ」という声が聞こえてきた。 }
 体を鍛えても拳銃で撃たれたらそれで終わりじゃし、 飛び道具じゃ無うても、武器を生活の
道具に使うとる猪槍を使う猟師や漁師の方が使い馴れとるわ。 喧嘩は一発で勝敗が決まるもん
じゃけぇ、体を鍛える体力じゃの反射神経とかも関係無ぁわ。