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歴史学者「磯田道史」を語るスレ [転載禁止]©2ch.net

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0001日本@名無史さん
垢版 |
2015/08/29(土) 21:59:05.63
今メディアで引っ張りダコの若手研究者。専門は近世・近代の日本。静岡文化芸術大学教授。

文化政策学部 教員紹介 > 磯田 道史
http://www.suac.ac.jp/education/teacher/culture/isoda.htm

代表著書
武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新
近世大名家臣団の社会構造
無私の日本人

現在のレギュラー番組と連載
英雄たちの選択 NHK BSプレミアム
http://www4.nhk.or.jp/heroes/
安住紳一郎の日曜天国 TBSラジオ ※毎年10月頃に出演
http://www.tbsradio.jp/nichiten/index.xml
磯田道史のちょっと家康(いえやす)み 広報はままつ
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/koho2/pr/kouhou_all/1410/ieyasumi.html
磯田道史の古今をちこち 読売新聞
0897白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2018/07/28(土) 02:44:39.08
>>896
立花宗茂も久留米18D菊師団の連中も自称大嘘こいて、喧伝するデマ飛ばし屋も
九州山師気質じゃけぇのう。
立花宗茂も陰湿で戦場の礼すら持ち合わせとらん浦宗勝さん暗殺画策の立花道雪も
九州人のやるこたぁ、陰湿な汚れじゃけぇのう。
ほいから、石田三成が軍令違反とした吉川広家さんの蔚山の独断奇襲も吉川広家さん
個人が考えたことじゃあるまあ。歴戦の吉川勢国人武士団が好機を逃さず勝手に
兵を進めて、見過ごすわきゃいけん最高指揮官の吉川広家さんが「前へ! 」云う
以外無ぁわけで、近代の郷土中隊戦記じゃ下級将校や下士官の独断が
公刊戦史じゃと、指揮官の決断と書き換えられるようなもんじゃけぇのう。
 『マレー戦記』から、
『市川少佐は仰天した。(またか!)と思った。しかし今度だけは無茶だ! とも思った。
しかし、 放ってはおけない。「各部隊前へ!」より他になかった…。
仙台幼年学校の区隊長から、この歩兵十一連隊(広島)の第三大隊に転任して来た
市川正は、 しばしば戦理に合わぬ攻撃法をやらかす部下たちを、ほとんどあきれて
いた。 (これが伝統と言うものだろう!)と、そう思うより他なかった。
しかし、激戦場にぶつかると、てんで頼もしかった。勝つこと以外には何も考えて
いないのだった。 「とにかく、こうしましょうや」と提案する中隊長たちの方法は、
てんで敵を無視していた。 けれどもそれは百発百中、成功するのだった。』
と、広島師団の戦理に合わぬ攻撃法も戦闘駆け引きの経験の知恵じゃし、>>584-586
ような、 無暴、無謀な常識外れもやらかすけど、常に常勝の広島師団の
実績伝統から、上層将校も黙認せざるえんのよ。
0898白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2018/07/28(土) 03:11:26.01
>>896
人格もある市川少佐のように、担がれた神輿に徹する覚悟は人徳よのう。
「うん、よきにはからえ」「責任は取る!」の覚悟を神輿に担がれた上層部は持って、
下級将校や 下士官の戦闘のベテラン戦闘法に余計な口出ししせず部下に逆らわん
ことが神輿として大切なのう。 幕末長州の毛利の「そうせえ侯」は、神輿に徹したと
しても、責任感は疑問じゃがのう。
『本部は、潰滅寸前だった。敵の攻撃が再三、繰り返さける。彼らの 攻撃は、
敵前二、三十メートルに進出し、一斉に自動小銃で乱射するのだ。 (このまま火力戦を
続行していては、敵の思う壺にはまってしまう。!)
遂に市川少佐は関の孫六を抜いた。栗原軍医も肥後大掾某の細い刀を握りしめている。
「あれ、れ」と、中田軍曹がむっくり立ち、となりの兵に、どさッと軽機を投げた。
兵隊ははけげんそうに中田を見上げたが、次の瞬間、その軽機を取り上げて猛射し
始めた。 「無茶に射つなァ」と中田は、かすれた声をかけ、のしのし大隊長の前に
近づいた。 彼は坐り込んでいる大隊長の所へ行くと、黙って関の孫六を引っ張りー
「軍医殿、軍刀で手術でも されるんですか。冗談じゃァないですよ!」と
市川大隊長の軍刀を納めながら『「戦争は歩兵がやりますけん、軍医殿は、メスでも
研いどって 下さいよ。相当、破片を受けた奴がいますからねえ…」
「中田。このままじゃァ、駄目だ!」と市川大隊長は周りを見た。
「なァに、敵は今に茶釜ですよ。大隊長の突撃なんざァ日露戦争以来、聞いたことも
ありませんよ!」 と中田はふてぶてしく言い「こらあッ。 うんこら、うんこら
言うなッ」と、負傷兵たちにどなった。 まさに そのとき奇蹟が起こったー』
中田軍曹が負傷兵たちに「うんこら、うんこら云うな」と、怒鳴ったのも、
市川大隊長へ 「うんこら、うんこらもう云いんさんな」云うことなんよ。 神輿に
無礼な態度は出来んけぇのう。 じゃが下士官が雲の上の大隊長に、平気で押さえ
説得させる日本最強の広島聯隊はさすが伝統の重みじゃのう。
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