平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら [転載禁止]©2ch.net
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母親に懇願され、情けに負けて平清盛は頼朝と義経を殺さず
伊豆と鞍馬寺に流罪としてしまった。そのため平家は滅びたと
されるが、もしこの2人を母親の懇願を無視し殺してしまって
いたら、果たして平家は存続したのか、それとも滅亡の運命
からは逃れられなかったか、考察してください 関東ではいずれ平家や朝廷の支配を離れて、独立する勢力ができたのは
間違いない。だが、源頼朝がいなければ、あれほどの巨大勢力にはならず、
いくつかの独立勢力が併存する事態になっただろう。
木曽義仲によって平家は都を追われるが、源頼朝がいなければ、平家を
殲滅するところまではできない。よって、平家は西国を拠点として存続
する。
西国の平家、木曽義仲、関東の複数の独立勢力、奥州藤原氏が併存する
時代になっていただろう。 >>2
いやいや、この三者だけではない。
東海東山には甲斐源氏、
四国には河野、近藤などの反平氏豪族
九州には菊池などの反平氏豪族も存在する。
また畿内の寺院勢力も無視できない。
義仲、平家、奥州藤原はその中の有力な勢力になるだろうが
その他の諸勢力が小勢力として並立する
戦国時代のような様相を呈する。
もしそれが100年近くつづいていたら元寇に対処できなかった可能性がある。 >>2
ということは、東西朝時代の幕開けですね。わくわくw 新田義貞がおるやん
どちらにせよ平家は滅亡しただろう 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 墾田永年私財法の約束があったために
平氏は実際何を考えていたか分からんが歴史通りならやはり
日本から撤収していたと思う。
当時の日本社会の状況と菊池家などの九州勢力と近畿の寺院勢
力や天皇家の存在がある以上源氏とか頼朝とかがいなかったと
しても適当な例えば関東平野の人とかに同じことをやらせていたはずだと思う。 関東の人たちは関東八平氏とか源氏の佐竹とかだけど、上に立って束ねる頼朝無しではまとまらない。
頼朝が利権争いを調停したから御輿として担がれた。 上総介広常・佐竹秀義・志太先生義広などは、平家や中央貴族の支配を嫌ったが、
鎌倉政権の干渉も嫌っていたふしがある。頼朝の権威を認めず、自分の独立性を
主張していたように見える。
このような関東独立勢力からすると、頼朝はいないほうがよかったかも知れない。
また、奥州藤原氏は、平家や中央貴族と適当に友好を保ちながら、独立を守るほうが
合っていただろう。 佐竹は平家に親かったんで頼朝に従わずに討伐された。佐竹討伐を主張したのは上総広常。
広常は佐竹と勢力争いをしていてその件の解決を期待して頼朝に参じたので平家追討より
佐竹討伐が先と主張し、頼朝はそれを拒否出来なかった。 頼朝のようなリーダーがいないのだから、中央が平家、関東は独立武士、そして東北は藤原氏という割拠状態が常態化するだろう。
という事は武士はこうあるべしという規範も存在しないため、武士は公家化した連中と4世紀早く登場した戦国大名のようになった坂東武士に二分化し・・・
元寇が来て終わりかな。 追記。上総広常は頼朝麾下で最大の勢力を誇ったので頼朝にとってもだんだん目の上の
たんこぶになっていったし、他の御家人にも横暴な振る舞いありとして誅殺される羽目になった。 でも木曽義仲によって平家が都落ちするところまでは行くだろう。
そのあとが義仲にうんざりした都人によって平家が返り咲くのか、
他の誰かが義仲に取って代わるのか? 範頼もいたと思うし、山伏とかが適当に日本全国から
さらうとかやってたと思うよ。
まあこういうのもあれだけど平氏が日本で政権を維持しようとする気が
あったのかなかったのか分からないからね。そういう体だと思うけど。
静御前などに弱みでも握られていたか、日本には関係があまりない別な
事情があったのか。その時には既に影武者だったとか。 頼朝・義経がいないとすれば、後白河院は木曽征討を甲斐源氏・信濃源氏などに
命じるかも知れない。
義仲が都を落ちていった後は、これらの源氏たちが上洛し、検非違使などの
官位を得て、都の治安に当たるだろう。
平家は一の谷・屋島などに拠点を築いて西国に勢力を張るが、頼朝・義経が
いなくては、簡単には落ちまい。
膠着が続いたところで、平家は後白河院と和睦して、都への復帰を図るのでは
ないか。平家が復帰すれば、平家が事実上「幕府」の役目を果たすだろうが、
東国や奥州は独立状態になるだろう。 まあ、奥州藤原氏は自分たちの所領のこと以外あまり考えてなさそう
だったからね。東方見聞録などはあると思うけど実際どれだけ金の
産出量や埋蔵量があったのかっていうところが。
相応の金があれば、欲しいものや必要なものが基本貿易で入手できただろうからね。
京都の治安維持は・・・僧兵でも源平ブランドの武士団でもなく
「ろぼっと」か「すーぱーまん」みたいな日本人がいればよかったよね。
まさこちゃんと北条氏が出てきてくれたからよかったものの。 信濃源氏は大概義仲に従ったんじゃないの?
ザッと見たところでは、村上は義仲配下から後白河に付いて、義仲と戦ったけど破れて頼朝の元に参陣。 >>19
信濃源氏などは義仲に従ったというよりは、やや義仲に主導権のある同盟ってとこかな?
信濃以外に義仲についてたのは(同盟的立場)
北陸豪族 → すぐ離れる
源光長(美濃源氏)→法皇につき敵対
葦敷義隆(尾張源氏)→距離を置く
安田義定(甲斐源氏)→離れて頼朝につく
源行家→ 敵対
山本義経(近江源氏)→最後まで義仲につく
志田義広→最後まで義仲につく
頼朝のような強力な主従関係によって構成された(といっとも後世より拘束力ははるかに弱い)家人をあまりもたない
同盟者頼みの義仲は同盟者に去られると
軍事力はすぐにガタ落ちする。 平家が西国で生き延びたら、貿易を独占して経済力で返り咲くだろ >>21
宋に支払うものがないじゃん。
奥州の金が届かない状況になってるでしょ? 消費財が輸出品だったみたいだからなんかしらあったんじゃないの >>23
支払いの決済としての金といってるんじゃなくて
相互支払いの物品としての金と言ってる。
貿易なんだからただで物もらうわけではないでしょ。
日本からの輸出品は、金、刀剣、硫黄くらいだったと思う。
そのうちの主力輸出品が金。 >>27
じゃあおたくの考える平家時代の日宋時代の実際は? >>30
全然答えになっていないんだが。
あ、マジレスしたらいけない君だったかな? >>32
じゃあ地図からどう読みとくのか説明して。
お馬鹿な相手でもわかるようにお願いします。 >>17
そもそも東国は大豊作で西国は飢饉だったから東国勢もこの機に乗じて次から次へ対抗手段を練りつづけてたと思うよ >>34
東国の範囲も微妙だよな。
東山 自分たちが食べる分は確保できるが、地形気候のもんだいで放牧の方が盛ん。
都までの輸送経路は陸路中心で効率悪い。
東海 箱根以東は当時の地形と交通の便の都合で穀物より、布糸での年貢納付が多数。(穀物もそれなりかもしれないが)
北陸 穀倉地帯&琵琶湖を使った輸送により穀物を都に納入。
食糧問題だけ考えると北陸を押さえたもんの勝ち。 >>34
その北陸も義仲VS平家で大量の農民が徴兵されて
気候は良くても耕作人が足りずに収穫高がかなり減っていた。
頼朝が義仲滅亡後比企能員を北陸に送り込んだけど
最初の任務は荒廃した農地の回復だったらしい。
飢饉は天候による天災と戦乱による農地荒廃という人災両方の側面がある。
東国豊作という面だけでのその先の可能性評価は難しい。 貴族化していった平家じゃ御家人の不満を吸収仕切れなかっただろうから、
いずれは源氏か平氏の誰かを棟梁に祭り上げて平家と対立していったであろう。
頼朝は神輿 >>37
だろうな。
誰かをきっと担ぎ上げる。
でも頼朝ほど有能な神輿はなかなかいないだろうな。 無能な神輿では幕府のような独立政権の枠組みは作れなかっただろうし。
ひょっとしたら後の承久の乱で朝廷軍に敗れて潰えていたかもしれない。 頼朝みたいなクソ重い神輿は最終的には切り捨てられる >>40
重しがなくなったら内紛時代突入だったけどね。 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり >>38
頼朝って優秀か?印象では北条に操られてたとしか思えんけど 頼朝義経が殺害されても、頼朝義経の変わりになるのが出て
いづれ平家は滅ばされたと思うがね
平家滅亡の最大原因は、後白河幽閉し清盛が独裁者になり
平家以外の領土をどんどん取り上げ、平家以外がみんな反平家になってしまったとこだと思う
あっちこっちで反乱多発し、家で例えたら
寝室でボヤが出て火を消しても、今度はトイレで火が出て、さらに玄関が(九州や南都や)
そして台所でガス爆発し大炎上(木曽や頼朝)
家中の壁にガソリンまかれた状態の家になってしまっていた
頼朝の弟が土佐に流され、そこで反乱したが鎮圧され殺されたが
頼朝が西国に流されたら、同じ運命辿ってたでしょう
たまたま伊豆にいたので担がれたが、頼朝が関東にいなかっても
変わりの血統の良い誰かが担がれたでしょう
別に源氏でなくても、京から流れた藤原貴族や以仁王みたいな皇族とか
義経の変わりが出たかどうかは判断に困る
しかし義経の存在は、平家が早く滅亡するか、遅くに滅亡するかの存在だったと思う
あの定石を無視した戦法の人間は、他にもいたと思うが
対平家司令長官として抜擢されたかどうかの問題
木曽義仲だって義経と同じ人生を歩んでいれば、似たような戦績収めたかもしれない
結論として頼朝義経が殺されていても、鎌倉幕府のようなものは出来たと思う
その過程の歴史は違ったものになると思う 頼朝北条未登場、何処ぞの公家だけじゃ幕府は難しいよ。
少なくとも承久の乱を切り抜けて全国を統治なんて団結力は育たない。
多分、リーダーが居なきゃ坂東武者はそれぞれ独自に割拠・自立の動きを見せるだろう。
鎌倉室町を挟まずに戦国時代になるかもしれないな。 神輿は軽くてバカが良い
神輿も要らなくなったから3代でポイ >>50
頼朝が必要なんじゃない。
北条も未登場なのが痛いんだ。
そうなったら比企も安達も表舞台には出てこれない。
リーダーが不在だろ。
どうみたって群雄割拠一直線だ。 頼朝の凄さを認識したいなら、全国の暴力団を統一することを想像すればええな 頼朝の凄さって、元総理の娘に生まれただけで衆議院議員になったようなものだろ >>54
平安当時の総理大臣相当=左大臣
平治の乱当時の実力
平清盛=政務次官&貿易公社会長&山口組トップ
源義朝=国土交通庁の局長級官僚&栃木県知事&南関東限定広域暴力団トップ 結局、坂東平氏の内ゲバに源氏の御曹司担ぎ上げたって感じじゃねーの?
芝居や講談が源平を面白おかしく分けて表現してしまったが源氏の佐竹が清盛に近かったり頼朝と戦ったり
しかし佐竹って戦国時代は石田三成に近く家康と対立したり
そのくせ維新まで生き残った
世渡りが下手なのか上手いのか? 義経は肖像画からすると義朝の子供じゃない
八幡太郎から受け継いだ清和源氏系の遺伝的特徴がない 義経物語読んでるんだが、最初に源氏は一族ぬっ殺されて義経だけが僧になることを条件に
生かされたと書いてあるのに、後になって一族やら実の兄貴やらいっぱいでてくるのはなんなの?
詐欺ですか? 肖像画からすると白河天皇の子供じゃない
同時代を生きていた天皇・皇族系の遺伝的特徴がない 歴史にIfは無い、天地人そのもの。
人や社会、世界を知るに頭を巡らせれるのは結構。
終了。 平清盛が白河上皇の御落胤ってのは、
あくまでも虚構も多い平家物語での話にすぎない。
『平家物語』の成立は鎌倉時代以降。 源頼朝は平治の乱で平家によって打たれた源義朝の遺児なので
担がれとしては最適の人物だったけど、
仮に頼朝がいなくても別の人物が担がれていたな。
おそらく、東国の源氏の誰かさん。 >>58
その物語が事実関係を確認されないまま書かれてるだけ 幼少期の頼朝を殺害していたら
間違いなく平家一門が
天下統一をしていたから
信長や秀吉や家康も出てこなかった イザベラ・バードも『日本奥地紀行』に、「彼(義経)は蝦夷に逃れてアイヌ人と長年暮らし十二世紀の末に死んだ、
と信ずる人も多く、アイヌ人は何処のことを固く信じている人は殆ど無く、義経は彼らの祖先に文字や数学と共に、
文明の諸学芸を教え、正しい法律を与えた、と主張している」、等と和人からの伝承を記している。
ってWikipediaにあるんだが「何処のことを固く信じている人は殆ど無く」ここの意味がわからん
信じてるのか信じてないのかどっちなんだw 信じてる和人は多いが
信じてるアイヌはほとんどいない 大陸に渡ってチンギスカーンに謁見してイタリアでマルコポーロになったって伝説聞いた >>66
西国は平家
東国が木曽源氏
奥州が奥州藤原氏
長期の
三国鼎立だな >>70
あれだよ、蝦夷地併合するための正当性のある理由として
和人の義経が蝦夷地にわたってその地の人々に物を教えた恩人だから
和人が統治してもいいよねって感じだったんだろう
為朝が琉球の王になったとする捏造も、同じ理由で
義経がモンゴルにわたったのも、満州の手に入れる為の同祖論
戦時中のユダヤ同祖論も似たようなもんだ
朝鮮人が、天皇は朝鮮出身だからウリナラが日本を支配していいニダ!と言うのと似てる >>59
平忠盛と祇園の女との子供? 池禅尼は義母? 清盛のほうが頼朝より長寿だった。
>>1
そうすると残党が復讐する。以上。
じっさい、北条の乗っ取りって平家による復讐だろ。 >>77
平氏と平家を混同してる?(´・ω・`)? 別の源氏が神輿に担がれるだけだろ。希義、範頼、義経の兄二人とたくさんいる。義仲もいるし >>79
反平家と独立性の高さから坂東に注目するなら新田義重かな
頼朝に対しては遅れをとったけど
頼朝がいなかった場合だったら有力じゃないかな 史実では1183年に木曽義仲は幕府を開いているが、すぐさま義経に滅ぼされる。
>>1の仮定に従えばこの部分以降が「無い」ことになる。 関東も頼朝以外の源氏が群雄割拠して
どんぐりの背比べ状態となる。木曽義仲の京都幕府はおそらく足利幕府のさらなる弱体化バージョンとして
だらだら存続し南北朝時代のようなカオスが続く。
誰かも書いているが鎌倉・室町を経ずに戦国が来るというのは有り得るね。 そしたら、何処が天下統一するんだ?
平家が都“戻り”するか、それとも関東に戦国の北条のような新たな覇者が現れるか。
それとも藤原が一気に中央に進出を始めるか・・・
どうなんだろうな。 平家と京都幕府は東経135度で戦線膠着、後世これを「135度線」と呼ぶ。
平家は京都奪還を諦め、中国大陸 東南アジアとの交易を深める海洋国家路線を志向する。
一方 奥州藤原氏は中央政局には関心を示さず、適当に付き合いながらオホーツク経済圏を目指す。
近畿から関東は戦国時代へ突入。京都幕府も朝廷も形骸化する。史実より早く、そして長い戦国時代が続き、
真の天下人が現れる。
その男の名は、 ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>84
油売りの方ではなくて、その油売りに乗っ取られた方か。
しかし、基本的に応仁の乱に乗じて領国を拡大して天下を取るってのは、乱が起きうるレベルの中央政権が無いと出来ない話だろう。
そう、史実より長期に渡る戦国時代になってしまったら、それぞれの領国が確固とした領域国家に固まってしまって統一は難しいんじゃないか?
妙な竦み状態で、図抜けた奴が出辛いだろう。 結局上洛を果たして朝廷の権威を担いだ者が天下を取る流れだろう。
でも俺の考えでは平家が都に返り咲いて戦国時代にはならないと思うけど。 平家が日本全土を統制できるだろうか?
多分、出来ない。
幕府のように独自のシステムを作ってるわけでもなく、基本的に形骸化した朝廷のシステムの流用だからね。
これじゃ武士の支持は得られない。
武士は、自分の領地を認めてくれない主は当然ながら認めない。
平家が滅んだのはそれだ。
しかし平家が都戻りしても、それを認めないだろう。
基本的に平家は、朝廷に寄生することで栄達し、生きている組織だからな。
なら、平家が全国を統一することは難しいだろう。 鎌倉幕府は承久の変を乗り切ったけど鎌倉幕府も頼朝もない関東武士団は
承久の変を乗り切れない。朝廷の権威(を担いだ平家)に従うしかない。 >>89
だから、武士は御恩の無い殿様には従わないよ。
土地の所有権すら保証できない、若しくはしない組織に何故全てを捧げねばならないんだ?
宣旨だけで武士が動いた時代は、乱世の始まりと共に終わってる。
というか、平家がある意味それを終わらしてしまった。
なら、自分の力で切り開くって方向に向かうと思うよ。
武士の所有権を認めない以上、平家に従う意味が全く無いもの。 >>86
ども。斎藤妙椿を出したのは「ただ言いたかっただけ」で深い意味はないです。勘弁してくださいよ旦那。
おいらは別レスでも並行してこの問題にコメントしているのだが、想定しているIF歴史は
治承・寿永の乱が終息せずにダラダラ長期間それも100〜200年というレベル。
後日この手の長文連投をするつもりなんだが、少し書いておくと、このIF歴史と史実の違いは
武家側が公家政権より勝ち取った権限、下地中分・地頭請・半済・守護請などが未だかちえていない社会を
考えてみた。 武士の成長が史実より未熟なまま戦国に突入するわけだな。守護領国制の前段階である荘園公領制の状態での
「戦国時代」を空想してみたわけだな。
周知のとおり、最初の戦国大名は北条早雲あるいは尼子経久(演:緒方拳 シビレル)を
挙げてよかろうと思うが、もう少しおもろい奴を思いつかなくて、誰かが後を書いてくれるだろうと
一旦退却したのだが、突然 斉藤みょうちんの名が頭に降りてきたので深い意味はない。
足利氏は鎌倉幕府の厚遇で肥大化した武士団だし、新田は勝手にすべってるのでIF歴史でも不合格。
あなたのおっしゃるとおり、山名も大内も守護領国制の申し子だから これもペケだすな。
あー、わかったよ。83の続き あんたが書いてくれよ。
んじゃあ、いくよ。
史実より早く、そして長い戦国時代が続き、やがて真の天下人が現れる。
その男の名は、 平治の乱で頼朝を処刑しておくべきだったという意見は正しいだろうね。
ただ、平治の乱は首謀者が藤原信頼でほぼ確定している。
信頼の方は、目の前で妻子を全て処刑してから、車裂きにされ、信頼は凄まじい
断末魔を上げながら死んだ、と残っているから、マジで怒りを買ったんだろう。
余りにも信頼一人に罪を押し付けた(あるいは事実そうだった)反動で、
他は甘くなってしまった。
>>1
これ、嘘。池禅尼と清盛はすさまじく仲が悪いので、清盛が池禅尼の意見など聞くわけがない。
朝廷が源義朝の罪を軽く見なし、頼朝を処刑するまでもない、としただけ。
最も、流されている途中で処分しておくべきだったと思うけどね。
後の藤原成親のように。 >>91
史実より200年長い戦国時代なら、流石にその間に大名も諸制度を整えていくだろうがどうだろうな。
史実だと、頼朝や北条という指導者が全国的に独自の制度を短いスパンで広めていった。
しかしそういう指導者がいなければ、戦国大名がそれぞれ制度を作っていく事になるだろう。
要は全国規模ではなく、地方それぞれにミニ幕府が出来るんじゃないだろうか。
<周知のとおり、最初の戦国大名は北条早雲あるいは尼子経久(演:緒方拳 シビレル)を
挙げてよかろうと思うが、もう少しおもろい奴を思いつかなくて、誰かが後を書いてくれるだろうと
一旦退却したのだが、突然 斉藤みょうちんの名が頭に降りてきたので深い意味はない。
なら、戦国一のド屑、木沢長政なんかどうだ?
戦国初期に突然現れ、あっという間に消えていった梟雄だが、畿内の諸勢力を戦わせるだけ戦わせて短期間に滅茶苦茶領国を拡大している。
ああいう倫理とか道徳とか一切関係ない信長タイプは、中世の破壊者と天下人をやれそうだが。 オツムが未整理なまま長文を書いてみる。おれがこのスレ来たのは先週が初めてなんで許してね。
連投長文嫌いな人はスルーしてちょ。
◆スレをざざっと読むに、>>2と>>3でいきなり結論が出てしまって
概ねこれを基調としたスレ進行になっている。2と3を読んで、ハッ!と気づかされたのは、
治承・寿永の乱が実は「プチ戦国時代」だということだった。
頼朝・義経のあざやかな政治・軍事手腕によって内乱が早期に収束したので
後世の我々は単純に「源氏と平氏(+奥州藤原)の10年戦争」と見がちだが、
実はそうではない、と目から鱗が落ちた思いがした。さらに読み進むと、
>>49が「鎌倉・室町を挟まずに戦国が来たかもしれない。」と書いてやがる。
「何いっ! 鎌倉・室町を経ずに戦国時代が来るだとお!?」 ベルム紀の大量絶滅の後に、
石炭紀・ジュラ紀・白亜紀をすっ飛ばして新生代が来るような話である。(わかりづらいか?)
もしかして49氏は天才なのか? これはもうじっとしておれない。
それで書いたのが>>81と>>83でござるよ。 (続きます ◆>>1の設定は可能性も十分あったし、「鎌倉幕府とは何か」を考えさせてくれる良い機会でもある。
49氏の言う「鎌倉・室町時代を経ないで戦国に突入する世界」とは
一体どんな時代(社会)なのか? これは有り得るIFなので非常に興味がわく。
治承・寿永の乱が終息せず数十年あるいは2,300年続く世界。なんかワクワク。
>94氏
史実の鎌倉・室町時代(応仁以前)は中世武士団の「進化」の過程だったと言える。
文治の勅許に始まり、下地中分・地頭請・半済令・守護請など、日本史の授業でお馴染みの
「武家の権限拡大、荘園・公領の侵略」を300年かけて行い、
その最後に待ってましたとばかりに「戦国」が到来するわけだ。
俺が>>81>>83で描いた世界は、史実の鎌倉・室町での社会発展が欠落したまま
未発達のカオス社会であり、>>94が描く世界は逆に、300年かかる「生物進化」を
数十年で遂げる急成長した社会だな。どっちに向かうんだろうねえ。
「戦国が300年早く、しかも長期に続く世界」を想像することは文明論の範疇だ。
スレ主の意図を超えた面白い議論になるね。(続きます) ◆たまにテレビで有名ではないが本当は凄い昔の偉人、みたいな番組を観ることがある。
来年 大河ドラマの主人公の井伊直虎も歴史秘話ヒストリアで初めて知ったし、
有名ではないが凄い歴史上の人物はまだまだ居そうである。 斉藤妙椿はずっと以前から
「すごい人なのになんでマイナーなのか」と考えていた人物だった。
今回 新テーマに取り上げた「治承・寿永から続く戦国時代」におれが彼を
エントリーしてやらないと誰も注目してくれない。
んで、 ――木沢長政―― いいねえ。今まで名前しか知らなかったよ。
ジャ二―細川のバックダンサーぐらいにしか認識が無かったが、ウィキで今回調べてみた。
「小物界の大物」感が漂ってデリシャスだ。俺もまだ修行が足りんね。
49氏が提唱し、>>83で妄想した仮想の戦国時代は一体誰が混乱を収拾するのだろうか?
斉藤妙椿、蓮如、木沢長政、桃井直常〔←NEW〕・・・・etc そして、
スレ主が気にしている平家の運命は? 鎌倉幕府の影の実力者 大内惟義の去就は?
歴史学界が無視している木曽義仲の京都幕府のその後は?
日ノ本将軍こと安東氏は渤海国と日本海経済共同体を結成するのか?
興味が尽きないね。 >平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら
義仲を誰も止められない・・・・ ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています