>>157
平家の独占は、保元の乱で上皇方の貴族が大量処刑され、人材不足に陥ったのも
一因だけどね。平家が簡単に調停を牛耳れたのも、そういう事情もある。

摂関家では、忠道の息子たちは普通に健在だったが、頼長の血縁は断絶させ
られたし、その他上皇方についた者は悉く三族皆殺しになった。

なお、これは後白河法皇の責任であり、清盛とは関係ない。
清盛自身も、保元の乱では同族の頼盛、忠正、家弘の族滅を命じられているし。

>>159
後白河法皇は淫乱で暴虐で狡猾だったからね。そういう人間に取り立てられた
のに恩知らず、という批判は当たりかもしれないが、後白河法皇の破綻した
性格に耐えられなかったのも一因だろう。