継体は当時、ぜんぜん人気なかったんじゃないかなぁって思う

>男大迹王

>迹
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/123356/meaning/m0u/
>〈セキ〉足あと。あと。「行迹・事迹」
>[補説]「跡」と通用。

大いなる跡継ぎとか、ふざけた名前つけてる時点で
(たぶん即位後に名乗ったんだろうけど)
雄略の人気にあやかろうとしてたんじゃないかと思う。

古事記とかみるに雄略はゼウスばりに女好きの逸話がある。
実際、本人が女好きだった可能性もあるけど。
こういうのはむしろ他の理由からじゃないかと思う。
ようは地方豪族が「実はうちの王子は雄略の落とし種」とか、
「実は三代前の先祖が雄略だった」とか言ったのが発生源じゃないかと。
(こういうのは言ったもん勝ち。特に当人が亡くなった後は)
人気がある人物だったからこそ、そういう女好きの逸話が作られてしまい。
そういう噂が多いと「あいつなら、どれほど落とし種がいっぱい
いても不思議ない」と、さらなる信憑性をうむ。

で、そういう自称・雄略の子孫たちが反旗を翻してくると
厄介だったんで、いっそ記紀じゃ悪人にしてしまったのかも。