古墳は傾向として4世紀から5世紀にかけて標高が低い場所に移って大型になってゆく。
仁徳紀、河内では堀江の開削や排水による耕作地の出現を得た。
同時期、北陸でも、河川を改修して、平野が生まれた伝説がある。
先住民が山裾に居住していたところへ、新しい人々がきて5世紀には低地に広がった。
新しい人々は干拓技術を持っていて、経済力を高めたのだ。
倭の五王系は外国から来たのだろう(辰王一族)。