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武と賛は名前の意味と活動年代と活動範囲が一致している
他は記紀にある天皇ではない
最大の候補は筑紫国造だ

履中〜安康にかけて記紀の記述は殆どが畿内での出来事となっているのだが
これが仁徳天皇の死によってついに大和朝廷が崩壊し、地方政権が再独立したからだろう

実は一つだけこの頃の筑紫についての記述を見つけたんだが
それが日本書紀の履中天皇5年で「於筑紫所居三神、見于宮中、言「何奪我民矣、吾今慚汝。」於是、禱而不祠。」とある
きっとこれは筑紫の分裂を示すものだろう