高天原の語義は「高貴なる海の城」 
沖ノ島が高天原そのものなんだよ。
そこから宗像氏族に守られて天孫が筑紫の倭王となり、志賀島の大山祇や綿津見などの先代の倭王家と婚姻したというさ。
その時点では畿内はもう一人の天孫である饒速日が交野に降臨して開拓中だった。
その末裔の尾張氏のさらに末端の誰かが纒向にいた。