支石墓だけを見ると、北から南下し、最もたくさんあるのは韓国の南西部の全羅道
日本にも九州にある。
これだけ読むと、あたかも「半島の朝鮮人が日本に支石墓を伝えた」ように見えるが、
時期がややこしい。
長崎にあるのは、縄文末期のもの。
全羅道にたくさんあるやつは、それよりも新しい時期になるらしい。

中国東北で支石墓が作られる
足の短いやつが主流のが半島中部に現れる(BC500年ごろ)
半島版西部で支石墓が大増産される(BC400年頃以降)

縄文末期にはすでに九州に伝わってるらしいね。
だから、弥生が始まってからしばらくたってから半島で盛んになってる。
任那地域でどうなのかあまりしらん