邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]©2ch.net
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今のところマイナー派ですが、神懸かりして語りましょう。 >松原?小松島の東部は当時海では? 間違いです。千代ヶ原でした。 >鳴門の大津ではないの? 私は天武天皇までは小松島と考えています。 >持統天皇が内陸の鴨島遷都したのは684年の津波が影響してる? それも有るかと思いますが、天智・天武ともバタバタ遷都をしているところから、 やはり、唐軍の侵攻を恐れて臨海部から吉野川中流まで逃げ込んだとみています。 >継体天皇から推古天皇まではどこの宮があったんだろう 継体天皇の後を受けて、66歳にして即位した安閑天皇が阿波市土成の飛蔵山に祀られているようなので、 吉野川北岸の阿波市・板野周辺かもしれないですね。 『日本書紀』では、諱を勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)としている(「まがりのおいねのみこ」とも読む)。 和風諡号は、『古事記』に広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、『日本書紀』に広国押武金日天皇とある。 、わずか4年で崩御した。 安閑天皇の治世の出来事として『安閑記』に、関東から九州までの屯倉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部の設置が記されている。(Wikipediaより) >松原?小松島の東部は当時海では? 間違いです。千代ヶ原でした。 >鳴門の大津ではないの? 私は天武天皇までは小松島と考えています。 >持統天皇が内陸の鴨島遷都したのは684年の津波が影響してる? それも有るかと思いますが、天智・天武ともバタバタ遷都をしているところから、 やはり、唐軍の侵攻を恐れて臨海部から吉野川中流まで逃げ込んだとみています。 >継体天皇から推古天皇まではどこの宮があったんだろう 継体天皇の後を受けて、66歳にして即位した安閑天皇が阿波市土成の飛蔵山に祀られているようなので、 吉野川北岸の阿波市・板野周辺かもしれないですね。 難波は讃岐なら孝徳天皇の難波宮は香川にあったってこと? 大化の改新があった板蓋宮は小松島? 蘇我馬子、蝦夷、入鹿の墓ってみんな徳島にある? >難波は讃岐なら孝徳天皇の難波宮は香川にあったってこと? 孝徳天皇の時代まで下るとどうでしょう。 今はまだよく分かっていません。 >大化の改新があった板蓋宮は小松島? そうでしょう。 >蘇我馬子、蝦夷、入鹿の墓ってみんな徳島にある? 石井町に古墳時代前期の「曽我氏神社古墳群」がありますが、そこに葬られているかは分かっていません。 http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C0%D0%B0%E6%C4%AE%2F%C1%BE%B2%E6%BB%E1%BF%C0%BC%D2%B8%C5%CA%AF%B7%B2 >>269 そもそも馬子と蝦夷は日本書紀にしか出てこない人物だからね >>268 地名はあとから付けた可能性あるじゃん? 福岡にも京都あるよね 「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が日本で唯一、阿波國麻殖郡 伊加々志神社で祀られていることから、 物部氏の本貫地は旧麻植郡周辺の可能性が高い。 神武天皇に鳴門で敗れた長髄彦は、『古事記』では 「那賀」須泥毘古 また 「登美能那賀」須泥毘古 と表記されている。 『日本書紀』には、「ナカ」邑の地に、また「トビ」の地名が起こり、それが後に訛って「トミ」になったと書かれている。 「登美」の後裔氏族には「中臣(ナカトミ)氏」がいる。 徳島県板野郡板野町周辺は、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。 長髄彦の末裔 中臣氏の本貫地は徳島県板野郡板野町周辺の可能性が高い。 >>270 飛鳥の石舞台古墳に葬られている人は誰? 飛鳥寺の飛鳥仏を造らせた人は誰? 板葺宮跡に住んでいた人は誰? 6世紀の飛鳥に強大な力を持つ大王&豪族がいたことは 遺跡の上からもはっきりしてるけど >飛鳥の石舞台古墳に葬られている人は誰? 阿波の有力豪族(蘇我氏か) >飛鳥寺の飛鳥仏を造らせた人は誰? 阿波の有力豪族(蘇我氏か) >板葺宮跡に住んでいた人は誰? 百済などの半島渡来人 板葺宮跡はコリアタウン跡 >6世紀の飛鳥に強大な力を持つ大王&豪族がいたことは >遺跡の上からもはっきりしてるけど 阿波の有力豪族 と 百済などの半島渡来人 >>254 淡路島の三原郡(現在の南あわじ市)にも大和大国魂神社(淡路国二宮。式内名神大社(三原郡筆頭)。) が有りますよ。 奈良の大和神社の由緒正しい分社と伝承されて、 律令の下、(国衙に近いと言う事も有ってか?)一宮のイザナギ神社(現、神宮)よりお手当てが手厚かった事実も有ります。 >>274 登美王家は いわゆる事代主神とされた出雲の東王家、富/向家(出雲の祖、クナト大神の直系)の八重波津身(出雲第8代副王=スクナヒコ)と摂津三島(大阪府高槻市辺り)の生玉依媛命の皇子、天日方奇日方命が大和の葛城に移住して分家独立した家系。 神話に金鵄やヤタガラス、野見宿祢、雄略天皇が出会った一言主神等重要なポジションを占める神聖な家系。 金長たぬきは等は登美王家(出雲の分家)の何方がを比喩したものか? >>281 今ある出雲は、阿波から進出した、出雲忌部のお陰。 努々忘れぬように。 >>280 倭と大和の違いを知らないとだめだよ >>281 金長たぬきは小松島と津田の争議が大本 漁業とか勝浦川の利水とか 余談だけど金長神社本宮は日峰神社の境内社なのでインチキ神社ではない 「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 「大和」と付いている。 「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波なのに「倭」とある。 徳島って史学科あるんかね もっと史学者を集めて研究しないとメジャーになれないよ 史学者を集めたらメジャーになれる見込みが無いと予算のつけようもない 史学者が大勢集まって喧々諤々やってても、未だに埒が明かないってのはどうなの? 予算の無駄遣い? ☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆ @阿波は単なる荒らしです。 反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、 理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。 @阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。 他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。 スレ汚しになるから相手しないように。 どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。 (ageれば他の皆も見てくれます) たん壺 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10 >>288 ☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆ ここ、たん壺なんだけど? 徳島でも最近、相当活発になってきてるね。 邪馬台国阿波説。 倭人伝や記紀との一致が出発点で 調べたら面白いくらいに合致するんだよ 傍証もこれから出てくるかも ただ畿内にあんだけでかい前方後円墳を作りまくったのは謎 これだけは発掘調査必要 かささぎや牛馬が居ないとか真珠と青玉の存在とか四国以外 を比定するならその場所を比定しろって話だ 古代人にとって、阿波ほど色んな資源(海・山・地下)に恵まれた土地はなかっただろう。 大事な河川(吉野川・吉野川支流・勝浦川・那賀川等)の恵みが抜けていた。 自然に恵まれているけど平野は狭いじゃん 人口飽和して畿内に屯田しにいったんだろう 白村江で惨敗をきっかけに本家も畿内へ移住 奈良盆地は内陸だから、唐軍の直接攻撃を避けられるからね。 >>300 山国の方が攻防共に有利だぞ 高地性集落の発生の発想が必要や 津波で平地は絶滅するの古代人は何回も 経験してて高天原という思想にたどり着いたのかと 九州説がありえない最大の要素は火山や温泉に 倭人伝がまったく言及してないこと いや、倭人伝だったらやっぱり最大の要因は丹山だろう。 九州はどうでもいいんだけど。 >>304 そうです丹山も含めて山の調査したのなら 火山の記述が無いのが異常 都合がいい記述のみを牽強付会 符合しない点は一切無視 >畿内に屯田 分家のほうがどんどん巨大になっていって阿波本家は悔しくなかったんだろうか? >白村江で惨敗 分家の畿内は大勢力なのになぜ助けてくれなかったんだろうか? >>307 阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、 その一部が奈良大倭に渡り、やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。 阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。 母国からの調進である。 忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。 「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。 また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一「神祇官扱い」になるなど、超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、 また大神自らも織られたとする「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、 大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)と観念されたからである。 >分家の畿内は大勢力なのになぜ助けてくれなかったんだろうか? 遷都前の奈良は大勢力の分家じゃないから。 あくまで倭国(阿波)の直轄地のひとつ。 阿波の本家が奈良遷都するときすんなり受け入れてあげたんだ? 力的にもう畿内にいる阿波豪族の方が上だろうに >力的にもう畿内にいる阿波豪族の方が上だろうに まったく認識違い。 遷都前の奈良(畿内)には力の元(色々な資源)がない。 奈良の発展には本家阿波の力が絶対不可欠だった。 ☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆ @阿波は単なる荒らしです。 反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、 理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。 @阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。 他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。 スレ汚しになるから相手しないように。 どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。 (ageれば他の皆も見てくれます) たん壺 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10 対馬海流 以下の点から、末盧國側の到着地点は呼子だと確定する。 ・壱岐〜呼子は23kmと短距離な上に、間に馬渡島や加唐島があって安全性が高い。 ・壱岐〜呼子の潮流は、日によって方向が変わる。(下記参照) ・楽浪土器など海外土器は伊都(沿岸〜三雲)に、日本国内各地からの土器は奴国に集中。 (国内船で混雑する博多湾と、朝鮮半島からの国際線を別々に管理) ☆潮流の向きは変化する。 対馬海峡:朝鮮半島〜対馬〜壱岐〜九州北岸 は以下の部分に分けられる。 対馬海峡西水道(朝鮮海峡):朝鮮半島〜対馬、60km 対馬海峡東水道(狭義の対馬海峡):対馬〜壱岐、55km (壱岐から九州までは近距離にて水道外:壱岐〜呼子、23km) 潮流の向きは、海底地形や気象、潮の干満によって影響されて日々変化する。 壱岐〜呼子の表層流(海洋レーダーシステム) <2011年6月> 北東・東:3 南西・南・南東11 北8 西3 乱流4 (日) <2012年6月> 北東・東:3 南西・南・南東10 北7 西9 乱流1 (日) <2013年6月> 北東・東:4 南西・南・南東6 北8 西10 乱流2 (日) <2014年6月> 北東・東:2 南西・南・南東7 北9 西10 乱流2 (日) <2015年6月> 北東・東:1 南西・南・南東6 北19 西3 乱流1 (日) 極端に北向きの流れが多い2015年を除いて、2011年から2014年までを平均すると、 南向き34(壱岐→呼子:28.6%) 東向き12(10.1%) 北向き32(呼子→壱岐:26.9%) 西向き32(26.9%) 乱流9(7.6%) 「石井・井ノ元遺跡」 「古墳時代前期 土器群が出土」 「祭祀用など250個以上」 石井町教委は15日、石井町石井の井ノ元遺跡から古墳時代前期(4世紀前半〜半ば)の土器群が出土したと発表した。 県内で同時期の土器がまとまって出土するのは初めてで、町教委は「土器によって年代を決定する編年研究の基準資料となり得る」としている。 土器群は地下約1.8mで見つかり、南北10m、東西35mにわたって帯状に広がっていた。 完全な形を残す物だけで250個以上あり、うち7割を祭祀用と思われる小型丸底壺や高坏が占める。手ごね土器や石製小玉、鉄製鍬先なども発掘された。 町教委は、祭祀後に土器を捨てた場所と推定し、近くに祭祀が行われた遺構が存在するとみている。 南側に渡内川があることから、水の神を祭る祭祀が行われていた可能性もある。 今回照査したのは約1500m2。西側に隣接する石井幼稚園の改築工事に伴い、5月から掘削に取り掛かった。 近世(18〜19世紀)から古墳時代前期にかけての4面の遺構が確認され、土器群のほか、 江戸時代の藍商屋敷に設けられていた石組み井戸や屋敷外の水田、飛鳥〜奈良時代の素掘り墓35基なども出土した。 奈良時代の水田を形成する溝の方角が8世紀前半〜中頃の条里制と一致することから、 石井町域でも阿波国府域と同時期、条里制に基づいて開発が進められていることも分かった。 町教委の菅原康夫文化財指導員は「今回見つかった土器群は、祭祀の内容や古墳時代の土器の様相を考える上で貴重な資料となる」と話している。 2017年11月16日 徳島新聞朝刊転記 @阿波 そう遠くない時期に倭国(阿波)での「祭祀場跡」が発掘されるでしょう。 @阿波 >>317 壱岐〜呼子、23km は、千里か? 既に内湾で呼子〜糸島西岸船越湾周辺へは海路での航海が合理的。 王の船の母港は糸島で当然。 加唐島は出港時の潮待ちには良いだろう。 >>その範囲には前方後方墳の王達がいて、攻め込まれた形跡もない。 >当然、前方後方墳も忌部一族がもたらしたもの。 >「攻め込まれた形跡もない」のも当然で、拓殖のために各地へ入植したのだから。 @阿波 阿波に前方後方墳なし。 所詮はなんの根拠もないスレ汚し説。 @阿波()失笑 >>九州説も神武が倭国大乱で筑紫を去った後に卑弥呼が即位したと考えている。 >卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。 @阿波 卑弥呼の100年以上前の107年に 倭国王帥升が160人もの生口を楽浪郡まで輸送している。 生口の監視官や護衛、 外交官達、 そして漕ぎ手もあわせると 数百人の人員を楽浪郡まで輸送しているわけだな。 ということは、 107年には既に、北部九州倭国の水軍は、 800kmほどの海上遠征を行う能力を有していたことが明らかなわけだ。 @阿波()失笑 >>321 >阿波に前方後方墳なし。 無知。 前方後方墳ごときにはしゃぎすぎ。 御所神社: 全長75mの “前方後方墳” 旧三加茂町 丹田古墳: 外形はシャモジ形をした積石塚の前方後方墳で、前方後方墳のうちでも古式に属する外形をしている。 曽我氏神社古墳群: 古墳時代前期の円墳と方墳 奥谷1号墳: 前方後方墳(50m) >>323 前方後方墳は阿波起源だと主張するんだね? なんの科学的考察も示せない 他の地域にもあるようなどうでもいい遺物を持ってきて 科学的考察を妨害するだけ 阿波さん いつも忌部一族が出てきますが 読みは?意味は? 出自は? 何時の時代から文献に出てくる? 邪馬台国と忌部は大和朝廷と関係あると思いますが、邪馬台国との関連は? 阿波説は記紀から離れれば良いと思います。 地理的にも遺物的にもなるほどと思う事もあります @それとも阿波さんは、記紀に基づく阿波説への反論を 敢えて記紀で迎え撃ってるのですか? どうも@としか考えられないのですが 全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーハー頭脳集団の総称である。 全国を拓殖していった古代倭国(阿波)ヒーハー頭脳集団の総称である。 え? まさかそれだけ? @阿波って名前の荒らしが荒らしまくってる根拠が まさかまさかまさか たったのそれだけ? 徳島はなんでもっと掘らないの? 人いないんだから掘りまくれるだろう 金ないの? >土器についても阿波(東阿波型土器) 東阿波型土器が他地域にどう影響を与えているのか? >墓制と朱についても阿波 どこにどう影響を与えているのか? >鉄器も阿波 3世紀阿波の鉄器についての詳細は? >中国朱も阿波 3世紀阿波の中国朱についての詳細は? >九州にあるものは大概、阿波にも有る。 @阿波 九州にあるものが大概あるだけだと属国の証明になる 九州にあるものが九州以上にあって その供給源についての詳細の証明は? >>335 大嘗祭で中心的役割を果たしているはずだろ 金がないはずがない >>336 践祚大嘗祭は天皇家の行事なんですよ。 国から特別に援助がないから、忌部の末裔による調進です。 じゃあ聞くわ ただでさえ鉄器の乏しい@阿波だが 淡路島の鉄工房遺跡を運営した方法は? 鉄原料入手方法 鉄工房稼働の木材入手方法 などなど 具体的に答えてね〜 >卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。 @阿波 >>338 >鉄原料入手方法 魏使が倭国(阿波)へやってきたルートで鉄原料・中国朱・中国鏡などを入手したんでしょ。 >鉄工房稼働の木材入手方法 南四国は森林王国ですから、有り余るほどありますが。 @阿波 >>339 だーかーら 伊都国王に匹敵する王が阿波にいないっしょ >>340 >だーかーら >伊都国王に匹敵する王が阿波にいないっしょ だーかーら 伊都国王?は倭国(阿波)から派遣した筑紫忌部なの。 @阿波 >>341 前方後方墳もそうだが @阿波から派遣したという考古学的根拠が無い 考古学的根拠を示せなければ お前はただの妄想スレ荒らし >伊都国王?は倭国(阿波)から派遣した筑紫忌部なの。 @阿波 さすがの畿内説もそこまでのトンデモは言わなかったな 俺も根拠を聞きたいわ 混じ九頭だなこいつ 全スレに書きこんで皆の議論をぐちゃぐちゃにしてやがる なにが@阿波だよこのボケが 徳島の奴つれてこいや 万戸少なすぎていねえぜ 出真珠青玉 其山有丹其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味有獮猴黒雉 @その山に丹がある、としか書かれていない。 A出真珠青玉丹と書くのではなく、出るモノと有るだけのモノをわざわざ区別してある。 B同じく有るモノである薑橘椒襄荷も、有るだけで、使っていない、とある。 >其山有丹 「倭国の山には丹がある」、としか書かれていません。 よって、「丹が採掘されているから」阿波、 という前提条件がそもそも成り立ちません。 @阿波終了 >>347 もう、そんな駄々こねる時代じゃないでしょ。 @阿波 出真珠青玉 其山有丹其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味有獮猴黒雉 @その山に丹がある、としか書かれていない。 A出真珠青玉丹と書くのではなく、出るモノと有るだけのモノをわざわざ区別してある。 B同じく有るモノである薑橘椒襄荷も、有るだけで、使っていない、とある。 >其山有丹 「倭国の山には丹がある」、としか書かれていません。 よって、「丹が採掘されているから」阿波、 という前提条件がそもそも成り立ちません。 @阿波終了 >徳島市・犬山天神山古墳 石棺から水銀朱で彩色された女性埋葬骨を発見 >「古墳の石室には人骨が残ることが少ないので、赤く染まった人骨は甕棺(かめかん)などから出土した弥生時代のものが多く知られていますが、 >徳島市の鶴島山2号墳からは辰砂で顔面が朱に染まった人骨が出土しています >徳島では、鶴島山古墳群(徳島市)、犬山天神山古墳群(同)、カンゾウ山古墳群(板野町)から出土した人骨が朱染めであった。 各部族の葬儀について特に興味を持って記すことの多い三国志 倭人伝において遺体や遺骨を朱で染めるなどという記載は全く無いことから、 阿波は倭人の住む場所でなく、 倭人伝とは全く関係のない辺境の未開地域であったことが明白となった。 嘘つき=@阿波 いつもの手口だ 基本的に日本史版の人は文献や考古学資料を基に 議論を戦わせに来ている。 畿内説と九州説もいがみ合っているようだが、 ある意味では議論を戦わせている好敵手ともいえる。 だが、@阿波はクズだ。 真面目な人たちの良心を逆手に取って、 「釣って」真面目な解答を引き出し、 その解答を十分に引き出したところで、 全てを無視して論破されたばかりの内容を勝利宣言で書きこむ。 これの繰り返しが@阿波=嘘つきの常套手段。 ただのクズである。 嘘も何も記紀に応じた式内社の神社の配置とか 祭神のストレートな名前とかちょっとヤバイぞ徳島 >>335 オーケストラに10億?以上ぶちこむなら 掘削すればいいのにね、音楽より歴史っしょ 数年前テレビで徳島説見たけど録画してないしそれっきりで忘れてたけど 急に思い出して気になったので来た ざっと読んだけど面白いレスもあるけど若干興味が削がれた 今や、阿波説の時代。 気になるのも当然だね。 @阿波 邪馬台国もいいけど、飛鳥時代は全て徳島もインパクトあるね もっとTVとかで主張したらいい、vs東京でなくてね 飛鳥時代改め阿波時代になって教科書に載れば 徳島の人も郷土に自尊心を持てるようになるだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる