邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]©2ch.net
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今のところマイナー派ですが、神懸かりして語りましょう。 え?
まさかそれだけ?
@阿波って名前の荒らしが荒らしまくってる根拠が
まさかまさかまさか
たったのそれだけ? 徳島はなんでもっと掘らないの?
人いないんだから掘りまくれるだろう
金ないの? >土器についても阿波(東阿波型土器)
東阿波型土器が他地域にどう影響を与えているのか?
>墓制と朱についても阿波
どこにどう影響を与えているのか?
>鉄器も阿波
3世紀阿波の鉄器についての詳細は?
>中国朱も阿波
3世紀阿波の中国朱についての詳細は?
>九州にあるものは大概、阿波にも有る。 @阿波
九州にあるものが大概あるだけだと属国の証明になる
九州にあるものが九州以上にあって
その供給源についての詳細の証明は? >>335
大嘗祭で中心的役割を果たしているはずだろ
金がないはずがない >>336
践祚大嘗祭は天皇家の行事なんですよ。 国から特別に援助がないから、忌部の末裔による調進です。 じゃあ聞くわ
ただでさえ鉄器の乏しい@阿波だが
淡路島の鉄工房遺跡を運営した方法は?
鉄原料入手方法
鉄工房稼働の木材入手方法
などなど
具体的に答えてね〜
>卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。 @阿波 >>338
>鉄原料入手方法
魏使が倭国(阿波)へやってきたルートで鉄原料・中国朱・中国鏡などを入手したんでしょ。
>鉄工房稼働の木材入手方法
南四国は森林王国ですから、有り余るほどありますが。 @阿波 >>339
だーかーら
伊都国王に匹敵する王が阿波にいないっしょ >>340
>だーかーら
>伊都国王に匹敵する王が阿波にいないっしょ
だーかーら
伊都国王?は倭国(阿波)から派遣した筑紫忌部なの。 @阿波 >>341
前方後方墳もそうだが
@阿波から派遣したという考古学的根拠が無い
考古学的根拠を示せなければ
お前はただの妄想スレ荒らし >伊都国王?は倭国(阿波)から派遣した筑紫忌部なの。 @阿波
さすがの畿内説もそこまでのトンデモは言わなかったな
俺も根拠を聞きたいわ
混じ九頭だなこいつ
全スレに書きこんで皆の議論をぐちゃぐちゃにしてやがる
なにが@阿波だよこのボケが
徳島の奴つれてこいや
万戸少なすぎていねえぜ 出真珠青玉 其山有丹其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味有獮猴黒雉
@その山に丹がある、としか書かれていない。
A出真珠青玉丹と書くのではなく、出るモノと有るだけのモノをわざわざ区別してある。
B同じく有るモノである薑橘椒襄荷も、有るだけで、使っていない、とある。
>其山有丹
「倭国の山には丹がある」、としか書かれていません。
よって、「丹が採掘されているから」阿波、
という前提条件がそもそも成り立ちません。
@阿波終了 >>347
もう、そんな駄々こねる時代じゃないでしょ。 @阿波 出真珠青玉 其山有丹其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味有獮猴黒雉
@その山に丹がある、としか書かれていない。
A出真珠青玉丹と書くのではなく、出るモノと有るだけのモノをわざわざ区別してある。
B同じく有るモノである薑橘椒襄荷も、有るだけで、使っていない、とある。
>其山有丹
「倭国の山には丹がある」、としか書かれていません。
よって、「丹が採掘されているから」阿波、
という前提条件がそもそも成り立ちません。
@阿波終了 >徳島市・犬山天神山古墳 石棺から水銀朱で彩色された女性埋葬骨を発見
>「古墳の石室には人骨が残ることが少ないので、赤く染まった人骨は甕棺(かめかん)などから出土した弥生時代のものが多く知られていますが、
>徳島市の鶴島山2号墳からは辰砂で顔面が朱に染まった人骨が出土しています
>徳島では、鶴島山古墳群(徳島市)、犬山天神山古墳群(同)、カンゾウ山古墳群(板野町)から出土した人骨が朱染めであった。
各部族の葬儀について特に興味を持って記すことの多い三国志
倭人伝において遺体や遺骨を朱で染めるなどという記載は全く無いことから、
阿波は倭人の住む場所でなく、
倭人伝とは全く関係のない辺境の未開地域であったことが明白となった。 嘘つき=@阿波
いつもの手口だ
基本的に日本史版の人は文献や考古学資料を基に
議論を戦わせに来ている。
畿内説と九州説もいがみ合っているようだが、
ある意味では議論を戦わせている好敵手ともいえる。
だが、@阿波はクズだ。
真面目な人たちの良心を逆手に取って、
「釣って」真面目な解答を引き出し、
その解答を十分に引き出したところで、
全てを無視して論破されたばかりの内容を勝利宣言で書きこむ。
これの繰り返しが@阿波=嘘つきの常套手段。
ただのクズである。 嘘も何も記紀に応じた式内社の神社の配置とか
祭神のストレートな名前とかちょっとヤバイぞ徳島 >>335
オーケストラに10億?以上ぶちこむなら
掘削すればいいのにね、音楽より歴史っしょ 数年前テレビで徳島説見たけど録画してないしそれっきりで忘れてたけど
急に思い出して気になったので来た
ざっと読んだけど面白いレスもあるけど若干興味が削がれた 今や、阿波説の時代。 気になるのも当然だね。 @阿波 邪馬台国もいいけど、飛鳥時代は全て徳島もインパクトあるね
もっとTVとかで主張したらいい、vs東京でなくてね
飛鳥時代改め阿波時代になって教科書に載れば
徳島の人も郷土に自尊心を持てるようになるだろうな 今すぐとはいかないだろうが、いずれにせよそういう時が必ず来ますよ。 @阿波 >>362
>邪馬台国もいいけど、飛鳥時代は全て徳島もインパクトあるね
一見、突飛に聞こえるだろうけど、こういうことが言えるのは痕跡が残る阿波だから。 @阿波 すみません。色々調べてみたのですが、四国説はないですね。。。
初見だとおっとは思うのですけど >すみません。色々調べてみたのですが、四国説はないですね。。。
(阿波説ですが) ないという根拠は? @阿波 物事の道理が解っていれば天皇の出自が徳島なのは明らか
倭人伝の記述に合致するのも四国だけ
文献だけで邪馬台国は四国に決定済みな上に傍証が多すぎる 畿内説の酷さは文献を否定するとこから始めないと
最初から破綻していること 九州説はそれより酷い
我田引水の歴史の蓄積が凄いw
文献を自分たちの都合に合わせて歪めているw 徳島説の強さは文献に照らし合わせた上で
記紀や万葉集、大嘗祭での立ち位置とか傍証が強すぎる 天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。 このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。 古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。 @阿波 阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、
やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である
麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、
天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、
高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、
超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする
「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、
新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)
と観念されたからである。 邪馬台国の場所の比定はともかく
天皇の出自が徳島だということは確信がある
反論あればどうぞ >>374
比定する前にいろいろ移動させられた
明治の国家神道は日本の古代を殺してしまった 宗像〜阿波のルートは存在したと思うんだけど
具体的に遺跡としてはどこなの?
小倉〜 宇佐〜 大分、別府〜
四国側で松山じゃ陸路が長いし、宇和島入りは違うよね? いちいち ageんなカス
sage進行でやれ
ヤマタイ国とムー大陸がどこにあろうが、 どうでもええ話で糞スレ群を板のトップに並べるな
うざい >>379
大嘗祭が近いからってそんなにイラつくなよ >>380
三木家では、大嘗祭調進麁布大麻栽培の心準備 始めてるらしいよ。 三木家立ち入り制限するとか。 @阿波 日本で大麻が解禁出来ない理由が天皇の祭祀に関わるってこと
広まってほしいw 大嘗祭のほんとの姿わかってないけど
大麻が関わってる以上大麻を用いたトランス状態で先祖霊と交感してるのは確実
忌部氏が大麻に関与してるのは歴史上明白 古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。 @阿波 @阿波 物を調達するのは子会社の仕事。
部長は優雅だが、酷使される部下は悲惨なのだ。
武器の物部。
祭祀用品の忌部。 生きる糧を得る労働と別の労働も課される。
苦しい役回りだよ。 >>387
物部は蘇我氏と聖徳太子に排除されますよね
物部神道が仏教に敗北したと言われてるんですけど
この時代はまだ忌部神道の時代ですよね 小松島は何にもないんだからもっと発掘しないと
奈良の明日香に全部取られてるじゃねえか 旧麻植郡鴨島町・川島町、名西郡石井町辺りもね。 @阿波 >>391
中田とか狭い地域に式内社二つ
豊国神社、祭神がわからなくなった東西の八幡神社
ヘビーな土地ですわ 【飛鳥の地は小松島市一帯】
小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。
舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
香具山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)
斉明天皇―後飛鳥岡本宮
天智天皇―後飛鳥岡本宮→近江(飛鳥嶋の宮)に遷都
天武天皇―飛鳥嶋の宮(小松島市嶋ノ宮神社)→飛鳥浄御原
持統天皇―飛鳥浄御原→藤原宮(麻植郡鴨島)に遷都 @阿波 >>396
『藤原宮の役民の作る歌』この歌は柿本人麻呂の作であろう。
歌は持統天皇の宮室(おおみや)造りを称え、これに天つ神、国つ神も寄り添い、賛同し、民(たみくさ)も我を忘れて奉仕し、他国も賛意を表すという、すべてを祝詞(ことだま)でうたいあげた讃歌である。
また、この歌は、田上山から藤原宮まで宮材を運ぶ搬路が順次語られ、通過するそれぞれの土地神と民とが祝意をもって参画するという歌になっている。
「石走(いわば)る 淡海(あふみ)の」
海岸の荒磯を押し寄せる波、その波が岩の表面をさざめいて走る、その淡海の国の、という意味であろう。「石走る」という枕詞は、滋賀県の琵琶湖では生まれようがない。
「淡海」は原義どおり阿波の海のことで、東と北を海で囲まれた地形故に、海に浮かぶ国、阿波の海に囲われた国(土地)の意味である。
「衣手(ころもで)の田上山(たなかみやま)の」
『和名抄』阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。一方滋賀県には田上の郷名はない。阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。
この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。「衣手」は地名にかかる枕詞で、衣服を織る「手」(職業集団)。
この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。
このうち漢人を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。この村にある「大麻山」、「大麻比古神社」の名もこれに関係する。
田上山は、田上郷(坂東村)の背後(北)にそびえる大麻山と推定され、この山の檜を切り出したものであろう。
「眞木(まき)さく檜(ひ)の嬬手(つまで)を」
大麻山の東西の谷をめぐって坂東谷川が旧吉野川に注いでいるが、推定される当時の合流点が「檜」(旧檜村)である。
ここから川を利用し、檜を川に浮かべ、上流に運ばれたのである。嬬(つま)とは端のことで、檜の丸太の端に穴をあけ、
それに綱を通し、時には水につかりながら岸づたいに運んだと思われる。 「もののふの 八十氏河(やそうじがわ)に」
これは先に挙げた阿波国田上郷戸籍がすべてを語っている。32氏のうち武人の姓をもつものとしては、「物部」「久米」「佐伯」「大伴」が確認できる。
またこの32氏には、孝元・開化・垂仁・景行・応神・仁徳・欽明の各天皇の後裔氏族や、御名代の姓のほか、倭朝廷の有力豪族の子孫の名を持つ氏人が揃っている。
まさに、阿波吉野川下流域は、八十氏の居住する地域で、そこに流れる川(吉野川下流域)を、八十氏河」と呼んだ。
対岸の吉野川南岸の徳島市に「矢三(やそ)旧矢三村」という地名が遺っているが、これも八十氏に関係すると思われる。
民(たみくさ)は、檜の丸太を川に浮かべ、綱をつけて岸辺から引き、檜村から上流へ河川を利用して泉の河まで運んだ。
「さわく御氏(みたみ)も家忘れ」
とは、流域沿いに住む民が、次々と現れ、それがいつしか大勢の民となり、誰もが我を忘れて心から奉仕し、また互いに祝詞(ことば)を交わし、大騒ぎしながら運搬に加わったさまといえる。
「鴨じもの 水に浮きゐて わが作る 日の御門(みかど)に」
この「鴨じもの(鴨自物)」は、運ぶ目的地(藤原宮造営地)の地名で、「鴨島」である。
この句の意味は、「鴨島の川岸に近い丘で、我々が川面に浮かんでいるような立派な御殿を造るのだ その御殿には異国の遣(つか)いも祝意をもって・・・」となる。
鴨島の藤原宮造営地が川原に近い丘を表しているのだろう。 「あらたへの藤原かうへに」
御殿(藤原宮)は、藤原のほとりに造営されたが、枕詞からそこは「あらたへ」と関係する土地であろう。
鴨島町は和名抄にいう旧「麻植郡(おえぐん)」である。いうまでもなく麻植郡は阿波忌部の本貫地である。
紀の神代一書にも天石窟(あまのいわや)の神事に、粟国の忌部の遠祖天日鷲が作(は)ける木綿(ゆう)を懸(とりし)でて」とみえる。
この阿波忌部の職業は天皇祭祀中、最も重要な大嘗祭において如何なく発揮されており、その調進物の中で、大嘗祭内陣に奉供される「麁布」が最も重要とされている。
このように阿波麻植郡の鴨島の地は、阿波忌部が麁布をつくるまさに聖地である。この麻植郡の聖地を説明するのに、枕詞「あらたへの」が用いられたのである。
しかも天皇にとって最も神聖で、最もめでたい品、皇祖天照大神が織らしめたという衣(あらたへ)を最上の賛辞として、柿本人麻呂が持統天皇に捧げたというのがこの歌の神髄である。
持統天皇は、持統6年、新益京の造営が奈良盆地で進む中、自らの治世中は、皇祖神から授けられた百敷(ももしき)の倭(阿波)にとどまりたいと決意し、鴨島の地(藤原宮地)で地鎮祭を行った。
これを天神地祇あらゆる民がことほぎ、御殿の造営に我を忘れ奉仕した様子がこの歌である。 @阿波 >>400
あらたえが何故重要なのかを理解したら天皇の出自が徳島だということが
すぐわかるんですがそれを絶対に許さない勢力がいますw 天皇の出自が徳島だが、卑弥呼の時代はもっと古いから邪馬台国は別の可能性大 >>403
>卑弥呼の時代はもっと古いから邪馬台国は別の可能性大
別の可能性は極めて少ない。 なぜなら、「其山有丹」は倭国(阿波)しか該当しないから。 @阿波 イスラエル(剣山)→邪馬台国→天皇(徳島平野)→天皇(奈良盆地)
って感じだろう
歴史は勝者のものだから前の歴史は消去していった
>>406
阿波にも牛馬は居ただろう
さすがに山上には居ないが 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
OLI33 「若杉山遺跡(阿南)坑道発見」
「辰砂採掘 弥生後期 日本最古か」
阿南市と徳島県教委は31日、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけ、赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂が採掘されていた若杉山遺跡(同市水井町)で、
辰砂を採掘していた坑道が見つかったと発表した。これまでは露天掘りなどの手法が取られていたとみられており、
より高い技術が必要な坑道で採掘されていたことは分かっていなかった。日本最古の坑道の可能性があり、今後、詳しく調べる。
遺跡は、太龍寺山(標高618m)の標高約140〜250mの地点の斜面にあり、坑道は約250mの地点で見つかった。奥行きは約14m、高さは約70〜90cmある。
市が国史跡指定に向けて昨年8月から行った調査では、入り口付近から辰砂の原石が22点、石杵が10点、内部から石杵が12点見つかった。
このため、辰砂の鉱脈を含む岩を横穴式に掘り進んだ坑道だと断定した。入り口から約50m離れた斜面では、掘削する際に出たがれきなどが捨てられた「ズリ場」も確認された。
その付近で弥生土器の破片が発見されており、坑道も弥生時代に使われていた可能性があると判断した。
市などは来年度以降、坑道内部の調査を本格化させ、時代の特定につながる土器などを探す。付近で他の坑道の有無も調べる。
現在、日本最古の坑道は奈良時代に銅を採掘していた長登銅山(山口県美祢市)とされている。
若杉山遺跡調査検討委員会の大久保徹也・徳島文理大学教授(考古学)は「この時期は、むき出しの岩を石杵で砕くなどして辰砂を採掘していたと考えられていたため、
これまでの考え方を覆すかもしれない」と指摘している。 徳島新聞 平成30年2月1日 @阿波 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 「若杉山遺跡(阿南)坑道発見」
「辰砂採掘 弥生後期 日本最古か」
阿南市と徳島県教委は31日、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけ、赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂が採掘されていた若杉山遺跡(同市水井町)で、
辰砂を採掘していた坑道が見つかったと発表した。これまでは露天掘りなどの手法が取られていたとみられており、
より高い技術が必要な坑道で採掘されていたことは分かっていなかった。日本最古の坑道の可能性があり、今後、詳しく調べる。
遺跡は、太龍寺山(標高618m)の標高約140〜250mの地点の斜面にあり、坑道は約250mの地点で見つかった。
奥行きは約14m、高さは約70〜90cmある。
市が国史跡指定に向けて昨年8月から行った調査では、入り口付近から辰砂の原石が22点、石杵が10点、内部から石杵が12点見つかった。
このため、辰砂の鉱脈を含む岩を横穴式に掘り進んだ坑道だと断定した。
入り口から約50m離れた斜面では、掘削する際に出たがれきなどが捨てられた「ズリ場」も確認された。
その付近で弥生土器の破片が発見されており、坑道も弥生時代に使われていた可能性があると判断した。
市などは来年度以降、坑道内部の調査を本格化させ、時代の特定につながる土器などを探す。付近で他の坑道の有無も調べる。
現在、日本最古の坑道は奈良時代に銅を採掘していた長登銅山(山口県美祢市)とされている。
若杉山遺跡調査検討委員会の大久保徹也・徳島文理大学教授(考古学)は「この時期は、
むき出しの岩を石杵で砕くなどして辰砂を採掘していたと考えられていたため、
これまでの考え方を覆すかもしれない」と指摘している。 徳島新聞 平成30年2月1日 @阿波 沖縄にも久米村とか久米が多いね
徳島と関係あるんかな 丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす
丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。
だから阿波は真っ先に脱落。 ☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆
@阿波は単なる荒らしです。
反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、
理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。
@阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。
他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。
スレ汚しになるから相手しないように。
どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。
(ageれば他の皆も見てくれます)
たん壺
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10 @阿波はアホかw
阿波の西には
北部九州を中心とする中国朱を大量に使用していた広大な地域があるわけだぞ。
その地域を抜けて東に阿波があって、
阿波でこじんまりと阿波朱を採掘していた。
つまり
阿波は海外交易圏から外れて
自前の丹で必死に自活していた田舎ってことだ。 >>417
坑道も新たに見つかって大規模だったこと知らんのかw 丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす
丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。
だから阿波は真っ先に脱落。 158日本@名無史さん2018/02/05(月) 12:08:56.49
>>157
>末蘆國----唐津中原遺跡
魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも唐津に上陸していない。推して知るべし。
もし古代より、唐津やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、 宗像地方に替わって唐津周辺が世界文化遺産になっている。 @阿波
159日本@名無史さん2018/02/05(月) 20:10:13.88>>162
1596年の朝鮮通信使は名護屋(東松浦半島)に上陸している。
(日本往還日記)
この時点で@阿波はいつもの大嘘。
@阿波は詐欺師 162日本@名無史さん2018/02/05(月)
>>159
>1596年の朝鮮通信使は名護屋(東松浦半島)に上陸している。
(日本往還日記)
その名護屋(東松浦半島)は、「往」じゃないく、「還」のはなし。
165日本@名無史さん2018/02/05(月)
>>162
「往」の旅行日誌が詳しく記されている。
末蘆国は唐津。
歴史文献上も考古学上も、定説通りで確定。
@阿波は詐欺師 164日本@名無史さん2018/02/05(月) 20:37:47.07
>>160
>さらに、楽浪土器は伊都までしか到達しておらず、
当然として、楽浪土器が最も出土しているのも、末羅国の宗像方面。 @阿波
228日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:23:01.93
@阿波は、伊都に集中する楽浪土器が、宗像から一番出てるとか嘘を平然とつく詐欺師だからな
@阿波は詐欺師 史書に『出真珠青玉 其山有丹』
とあるなら邪馬台国はこの三つを産出している
と解釈しないとだめだろ
其山という書き方は邪馬台国が山国だったということ 其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ
それ以上でもそれ以下でもない
むしろ
丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはず。 丹が有るから採掘してるんだよ
採掘跡が無いからって酷い言いがかりだな 其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ
それ以上でもそれ以下でもない
むしろ
丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはず。 >>42
>其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ
分かったから、
じゃ、なんという丹山なの? @阿波 >>427
馬鹿じゃないのw
採掘されてる事実があるから
其山出丹て書くのよw
丹が有るだけなら日本の複数の地点にばらけるよ
九州説の馬鹿は早くその時代の採掘跡を見つけろよw >>429
だから其山出丹て書かれてないので、採掘されてる事実はなかった。
丹が有るだけなのだから、日本の複数の地点にばらける。
よって、阿波説は真っ先に邪馬台国候補から脱落。 >>430
>其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ
分かったから、
じゃ、なんという丹山なの? @阿波 >>431
倭人伝には丹を採掘していたとは書かれていないでござる丹山 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています