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邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001日本@名無史さん
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2016/03/19(土) 21:14:14.21
今のところマイナー派ですが、神懸かりして語りましょう。
0525日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 12:50:56.96
邪馬台国かどうかわからないけど、徳島は後のヤマト王権の礎を築き
大きな影響を与える何らかの大きな部族があったのは間違いないでしょうね。
0526日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 12:58:36.68
老婆が言うには菅原?
そういう話もしていたんだけど、
老婆の実家の裏のほうに、そういう神社があって・・・とか
0527日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 13:00:54.38
お前の家の〜〜みたいな事を言っていたりw
家は『松傾』?のような名前の家なんだけど、読み方が何やらとか
0528日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 13:09:46.93
発電、電気の話をしていたり、
実際に電気(普通の電気)を起こしていて、何やら様とか言われていたとか
0529日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 13:17:04.65
>>525
>大きな影響を与える何らかの大きな部族があったのは間違いないでしょうね。


だから、後にも先にも「忌部一族」以外の部族なんてどこにも存在しないでしょ。  @阿波
0530日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 13:26:43.03
老婆の旧姓:渡辺

ほとんど合致している?日本昔話みたいな話
0531日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 13:29:35.64
橋、牛?の話とか
0532日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 13:36:37.14
機織りの話とか、
本当はどういう話なんだろう
0533日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 13:39:20.25
橋姫関係の話?
0534日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 14:24:49.91
>>525
>大きな影響を与える何らかの大きな部族があったのは間違いないでしょうね。


北の「邪馬台国」「粟国」 も 南の「狗奴国」「長国」もみんな「忌部一族」だよ。  @阿波
 
0535日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 14:32:07.25
本当に謎の川俣町という掲示板


奈良とか平安の頃の〜話をしている人がいたり
0536日本@名無史さん
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2018/09/07(金) 21:27:55.43
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0537日本@名無史さん
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2018/09/09(日) 12:30:38.25
阿波文字は忌部が作ったの?
0538日本@名無史さん
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2018/09/09(日) 13:15:49.53
>>537
>阿波文字は忌部が作ったの?

それ以外はない。
ただし、 ここでいう忌部とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波
0539日本@名無史さん
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2018/09/09(日) 13:30:33.28
「大宮八幡神社」は、徳島県佐那河内村に鎮座する神社である。
「大宮八幡神社」には神代文字である阿波文字が伝えられている。

この「大宮八幡神社」もいいが、もっと面白いのが徳島県佐那河内村「天岩戸別神社」。 こんなのばっかり。  @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/23490705/
0540日本@名無史さん
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2018/10/06(土) 22:40:50.02
邪馬台国畿内教の教条

邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない

パヨクは頭おかしいでほんま
0541日本@名無史さん
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2018/10/06(土) 23:01:49.82
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0543日本@名無史さん
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2018/10/09(火) 08:07:39.86
邪馬台国は徳島だっただの、神武天皇は徳島出身だっただの、徳島県民ってどうして歴史を捏造をするの?恥ずかしくないの?

徳島なんて江戸時代以前の史料がほぼ無いに等しい県なのに。
0544日本@名無史さん
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2018/10/09(火) 09:09:53.24
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0545日本@名無史さん
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2018/10/09(火) 11:40:43.57
各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。  @阿波

「阿波国風土記」    
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?

役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」では済まされる話ではない。 
0546日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 07:45:48.08
「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊  
「鉄器の製造拠点か」
「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。
県教委と県埋蔵文化財センターが5日発表した。鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。
竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。
住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。
石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。さらにガラス玉や管玉など、県内で数点しか出土していない稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。
集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。
県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。  @阿波
0547日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 08:53:23.29
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0548日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 10:50:22.79
そもそも「松浦ー唐津ー糸島ー福岡ー門司など北部九州沿岸」は「其山有丹」で即、アウト!
よって、最初から邪馬台国論争に参加する資格無し。  @阿波
0549日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 11:03:10.89
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると

「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」

阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。

阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。

内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。

その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう。  @阿波
0550日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 12:59:58.16
>>543
なんの長所もない県なんだからファンタジーや妄想に頼らないと何もないんだよ。許してくれよ。
0551日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 13:02:13.55
その大和には、長国(狗奴国)のような権力の元となる鉱物資源・海洋資源がないんだよ。

そんなところに有力勢力など勃興するわけないでしょ。  何を考えているんだかwww  @阿波
0552日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 13:18:16.67
魏志倭人伝は倭国(阿波)の事象を大変分かりやすく記述してくれている。  @阿波

・帯方郡の東南の大海の中に在る
・男子は大人、子供の別なく、みな顔面と身体にいれずみをしている。
・倭の水人は、好んで水中にもぐって魚や蛤を捕る。
・稲や貯麻を植え、桑で蚕を飼って紡績をおこない、麻糸・きぬ・綿を産出する。
・倭の土地は温暖である。
・中国で白粉を用いるように、朱や丹を身体に塗る。
・その葬儀には、「棺」はあるが、「槨」はない。盛り土をして「冢」をつくる。
・真珠、青玉を産出する。
・山には「丹」を産出する。
・生姜、橘、山椒、茗荷が採れる
・東に海が在る
・その海を渡り、1000里行くと倭国(阿波)とは別の国が在る
・倭の地は周囲5000里
・銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を与えられた
・倭王は丹を献上した
・卑弥呼が死んだ時、倭人は直径百余歩の塚を盛大に作った
0553日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 18:19:01.13
長野県諏訪市にある「諏訪大社」は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命」から移遷された、と社伝にあるそうだ。

その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。

つまり大国主命の息子神である建御名方神はここ徳島県石井町諏訪の「多祁御奈刀弥神社」に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。

それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。  @阿波
0554日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 18:40:53.83
全国、広しと言えども 「倭」と明記された「物証」があるのは、唯一「阿波」だけ。

当然、倭国ではない九州にも畿内にも有りません。  @阿波
0555日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 18:46:23.57
魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の「画文帯神獣鏡」

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の「斜縁二神二獣鏡」

この「画文帯神獣鏡」か「斜縁二神二獣鏡」 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。  @阿波
0556日本@名無史さん
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2018/10/10(水) 20:55:24.95
「纒向石塚古墳」朱塗の鶏形木製品の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波
0557日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 07:12:31.02
纏向遺跡「朱塗りの盾」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。 

箸墓古墳に日本産「朱」が使われていたら、即 倭国(阿波)で決定となるんだよ? 分かってんのかな?  @阿波
0559日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 11:59:57.11
「一貴山銚子塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波
0560日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 12:12:19.68
「倭国(阿波)は鉄器王国」

倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。  @阿波

「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」
0561日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 12:17:36.02
「倭人伝に基づく物証」は九州にも出雲にもない。

有るのは、唯一倭国(阿波)だけ。  @阿波  
0562日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 12:49:05.82
古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。  

今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した倭国(阿波)の「忌部一族」のように、

畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波
0563日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 15:58:46.81
古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。  

今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した倭国(阿波)の「忌部一族」のように、

畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波
0564日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 17:25:13.62
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」とは、徳島県阿南市橘町周辺を指している。
その証拠に、その沖合に浮かぶ伊島には「当所神社」が鎮座しており、御祭神に奥津三神(下記)が祀られている。
・奧疎神(おきざかる)
・奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこ)
・奧津甲斐辨羅神(おきつかいひべら)

面白い事に、この奥津三神は、伊邪那岐が黄泉の国から帰還した際、
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊祓をした時に、最後に産まれた神々である。
しかも、この奥津三神は、日本で唯一、伊島にのみ見られる神で、
日本の他の神社で、他に奥津三神を祀る神社は、何処にもない。

「奥津三神」 なぜ、阿波のみで祀る必要があろうか? 推して知るべし  @阿波
0565日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 20:44:29.38
「ホケノ山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

ホケノ山古墳の取り扱い、どうするの?  @阿波
0566日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 21:00:10.57
魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の「画文帯神獣鏡」

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の「斜縁二神二獣鏡」

この「画文帯神獣鏡」か「斜縁二神二獣鏡」 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。  @阿波
0567日本@名無史さん
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2018/10/11(木) 22:08:47.83
>>543
史料が無いから怪しいんだよ
歴史は勝者のもの
都合の悪い歴史はデリートされる
0568日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 06:35:52.79
>>567
>史料が無いから怪しいんだよ


本当に「阿波国」は怪しい所ですね。

各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。

「阿波国風土記」  @阿波  
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?

役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」で済まされる話ではない。 
0569日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 09:43:45.07
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0570日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 22:17:12.69
>>567
いくら怪しくても史料がなけりゃ妄想定期
当時の四国はただの流刑地だよ
それだけはちゃんと史料が残ってるよ
よかったな。四国の歴史が知れて。
0571日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 23:09:53.84
興味で立ち寄った素人の徳島人だけど
邪馬台国徳島説は昔聞いた事ある
そんときは
なにいってんだおっさん( ´_ゝ`) プッ
と思ってたけど色々知ってきたらそれもありえるかなぁと思うようになった
安徳天皇徳島(うちの近く)逃亡説とか前科があったから信じてなかったけど
興味が湧いた
関係ないけど県外に出たら色んな古墳があるよね
古墳王国の奈良や大阪、以外と九州にも多い
徳島には巨大墳墓は少ないけど銅鐸とかある
小学校で習うほど常識だが県外人はほぼ知らん
調べてみたら島根兵庫滋賀徳島和歌山で多く出土してんだって
なんで大和国を避けるように回りで発達したんだろうなぁ
0572日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 23:35:28.20
クマ除けだからだよ
0573日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 23:37:57.04
「徳島県の銅鐸出土地」
『日本古代遺跡37徳島』14ページより  後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
                       
1. 檜銅鐸           鳴門市大麻町檜字乾谷    90
2.神宅銅鐸         板野郡上板町神宅      41
3. 川島銅鐸          麻植郡川島町神後     45.6
4. 森藤銅鐸         麻植郡鴨島町森藤      21
5. 牛島銅鐸         麻植郡鴨島町上浦      34.7
6. 伝久勝銅鐸        阿波郡阿波町久勝   
7. 久千田銅鐸        阿波郡阿波町久勝      30
8. 伝榎瀬銅鐸        徳島市川内町榎瀬      44.5
9. 星河内美田1号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
0574日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 23:38:16.70
16. 源田1号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
17. 源田2号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
18. 源田3号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   52.0
19. 安都真1号銅鐸     徳島市入田町安都真     29.5
20. 安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
21. 安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
22. 安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
23. 名東銅鐸        徳島市名東1丁目       40
24. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     90.9
25. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     45.4
26. 伝福万谷銅鐸      徳島市八万町福万谷     
27. 勢合銅鐸        小松島市立江町赤石     36
28. 畑田銅鐸        阿南市下大野町畑田     54.02
29. 八貫渡銅鐸       阿南市下大野町八貫渡    
30. 才見銅鐸        阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸     阿南市山口町長者原     64.25
32. 長者原2号銅鐸     阿南市山口町長者原     41
33. 田村谷銅鐸       阿南市山口町田村谷     62 
34. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          42.4
35. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          31
36. 伝長生銅鐸       那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸        三好郡西祖谷山村榎名     推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸   美馬郡脇町拝原        6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸

伝脇町銅鐸というように、「伝」が付いているものは、現在は存在しなくて言い伝えが残っているものです。
残っているものは、19遺跡から32個の銅鐸が出土しています。
こんなに多くの遺跡で銅鐸が出土するのは、全国でも倭国(阿波)だけなのです。
銅鐸も倭国(阿波)発祥とみるのが自然ですね。  @阿波
0575日本@名無史さん
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2018/10/12(金) 23:42:04.32
>>571
>調べてみたら島根兵庫滋賀徳島和歌山で多く出土してんだって

それは、倭国(阿波)を発って「島根兵庫滋賀徳島和歌山」方面へ忌部一族が進出開拓していった痕跡ですね。  @阿波
0577日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 08:35:40.34
「先代旧事本紀 巻五 天孫本紀」では饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖神と仰ぎ、六代目にあたる伊迦賀色許売(いかがしこめ)、
伊迦賀色許男(いかがしこお)姉弟は、倭の土着豪族として朝廷に仕えた蘇我氏、葛城氏、物部氏の祖にもあたる。
伊迦賀色許男(イカガシコオ)姉弟は、

日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。
「伊加加志」(イカガシ)を社名・御祭神とする神社は、全国でここ一箇所だけなのである。
それが、忌部の郷 麻植の地に鎮座している。
徳島の神社 延喜式式内社 伊加々志神社
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波
0578日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 08:47:18.64
狗奴国も強大だよ。 その源泉が、「辰砂鉱山」と「黒潮の恵み」と「海洋航行技術」。  @阿波

※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・深瀬遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡
0579日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 08:52:19.24
>>570
流刑地ならなぜ四国の山奥に天皇家のお抱え業者がいるの?
0580日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 09:05:04.79
「践祚大嘗祭に麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家」  @阿波

阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、
やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である
麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、
天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、
高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、
超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする
「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、
新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)
と観念されたからである。
0581日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 09:11:54.47
>>570
いずれにせよ、九州説や畿内説では逆立ちしても絶対無理だということ。  @阿波
0582日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 09:28:11.58
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0583日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 09:50:06.55
「瀬戸内海を航行できるようになったのは、五世紀 雄略天皇の時期」  @阿波

「風待」港を造り、澪標(みおつくし)を完全に整備しないと、瀬戸内海は通し航行できなかった。

そして「それ」が整備されたのは、雄略天皇の五世紀頃だった。

瀬戸内海沿岸諸国を統制する体制が整い、そういった設備が整ったのは、雄略朝を待たなければならなかった。
0584日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 10:28:04.27
>>583
航行する[方法]を明らかに明記できた時期でしょ
実際は有象無象が現代では無謀と思える航行を普通に成功させてたでしょ
0586日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 12:07:35.25
「祇園山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。

「祇園山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0587日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 19:48:31.57
女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。

当時の畿内は文化後進国の倭種なり。  @阿波
0588日本@名無史さん
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2018/10/13(土) 20:35:57.11
「椿井大塚山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく山城忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

「椿井大塚山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0589日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 08:32:52.98
「末廬国(諸説あり)」???  末廬国が未定では、伊都国以降も比定出来ない。 

大陸からの玄関口「末羅國」の痕跡 「田熊石畑遺跡」」「今川遺跡」「手光於緑遺跡」「新原・奴山古墳」  

その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。 

奴国は上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「田川辺り」だね。 


不弥国は 築城五反田遺跡、上別府沖代遺跡、安武・深田遺跡、安武・土井の内遺跡、赤幡森ヶ坪遺跡
などがある「築上町辺り」だね。  @阿波
0591日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 09:42:08.58
「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

「黒塚古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0592日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 09:44:36.62
崇神天皇陵のすぐ近くにある、「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

「黒塚古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0593日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 12:10:36.76
「天牟久怒命」=「天村雲命」を祀る、日本唯一(またまた)の式内社 阿波國麻殖郡「天村雲神伊自波夜比賣神社」が、 阿波国旧麻植郡射立郷「村雲」に鎮座する。

この天村雲神の別名がなんと、「天五多底命 ( あめのいだてのみこと )」 なのである。 御祭神の天村雲命は、「 射立神 」とも呼ばれる。 

「天村雲命は、別名「天五多底命(あめのいだてのみこと)」とも呼び、射立の神。鎮座地周囲は、湯立という字が残っているが、これは射立からの転訛。

もし、天村雲命=射立神だとすると、天村雲命=五十猛命とも考えられる。 五十猛命は、素盞嗚尊の御子神であり、伊達神。」

全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する日本唯一の神社なのである。  @阿波
0595日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 14:09:18.24
「畿内から魏鏡の三角縁神獣鏡が大量に見つかる」という、

「椿井大塚山古墳」や「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく山城忌部や大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

「椿井大塚山古墳」や「黒塚古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0596日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 14:31:55.75
九州で「丹」が見つからない

だから九州 (没)   @阿波
0597日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 17:23:03.22
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)

南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川流域勢力)

こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波
0598日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 17:30:34.44
「前もって、その母体となる種族の一定の広がりがあってこそ国・王朝は成立する。」

今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した阿波の「忌部一族」のように、
畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波
0599日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 22:26:25.96
「九州からは祇園山が出て、」

その「祇園山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。 

「祇園山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0600日本@名無史さん
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2018/10/15(月) 06:38:44.61
「九州には、弥生銀座を始め、大量の遺跡が十分にあるが、」

大量の遺跡が十分にあるが、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  @阿波
0601日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 06:54:07.74
「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。

桜井茶臼山古墳も下池山古墳も黒塚古墳も
倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0602日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 07:28:17.03
阿波にわ阿波レベルのお似合いな
いにしえの阿波踊り国でも創っとけば?
0603日本@名無史さん
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2018/10/15(月) 09:06:55.07
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0604日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 18:54:54.04
纏向遺跡「朱塗りの盾」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

纏向遺跡も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」の遺跡と何度言えばw  @阿波
0605日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 18:59:22.88
「ホケノ山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

「ホケノ山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
0606日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 19:01:14.39
>九州には、弥生銀座を始め、大量の遺跡が十分にあるが、

大量の遺跡が十分にあるが、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  @阿波
0607日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 19:35:10.87
>郡使がいた九州北部にしか邪馬台国はあり得ない。

「其山有丹」で九州北部は邪馬台国はあり得ない。  @阿波
0608日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 20:53:07.07
>倭国の都は紀元前から一貫して筑紫、現在の福岡県にあった。


「其山有丹」で筑紫、現在の福岡県は倭国の都はあり得ない。  @阿波
0609日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/15(月) 21:20:51.99
>「真剣に、真剣に、広く、広く、深く、深く」考えていくと「理性的な人であれば、九州島に到達せざるを得ない」と思いますね!


「其山有丹」で、即アウト!  @阿波
0610日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 07:18:10.79
>今月末から宮内庁は、
>仁徳天皇陵の内堤の一部を堺市と共同で発掘調査・・・するらしいな



仁徳天皇陵も倭国(阿波)の「忌部はん」のお墓。  @阿波

「子安観音古墳」

徳島県小松島市・子安観音古墳から、金銅製の甲冑の破片4点が出土している。これは、金を施した希少なものである。

5世紀中ごろの制作と推定され、金銅製の甲冑は1872(明治5)年に国内最大の前方後円墳大仙凌古墳(旧称仁徳天皇凌)の出土例があるだけ。

大仙凌古墳の前方部埋葬施設の副葬品は5世紀後期のものと考えられる点から、子安観音古墳が大仙凌古墳より古い可能性が高い。

よって、大仙凌古墳の被葬者は、倭国(阿波)中央政権から極めて高い地位を与えられたことを示している。

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波
0611日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 07:39:21.37
>渡辺義浩・早大教授(中国古代史)は、魏の文帝が「寿陵は自然の山を利用し、樹を植えてはならない」などと定めたことを紹介し、
「魏の使者は、卑弥呼の墓を見て中国の墓制にのっとった墓だと思っただろう」などと話した。


少なくとも初期の天皇陵は、山の尾根や丘を利用して築かれた。

初代〜第五代天皇の陵墓の記事(『古事記』『日本書紀』『延喜式』)には

まず神武陵が畝火山の北方白檮尾上、綏靖陵は衝田岡、懿徳陵は畝火山の真名子谷上、孝昭陵は掖上の博多山上とあるように、

初期の天皇陵は、 山の尾根や自然の丘陵の一部を利用して築かれている。  @阿波
0612日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 08:13:34.68
「大仙古墳」の石棺水銀朱は、まず間違いなく和泉忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波


「大仙古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw   @阿波
0613日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 08:40:51.24
>卑弥呼の都なら、弥生銀座地域が最も可能性が高いし、


その「弥生銀座地域」は、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  @阿波
0614日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 08:43:50.25
>卑弥呼の都なら、弥生銀座地域が最も可能性が高いし、


その「弥生銀座地域」は、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  

倭国(阿波)の爪の垢を煎じて飲むとよい。   @阿波
0615日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 10:04:06.56
>「会稽東冶之東」一発で
>九州説が致命傷負ったから

そんなことより、九州説の致命傷は「其山有丹」。  @阿波
0617日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 10:11:36.31
>将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった

「将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった」のは、
倭国(阿波)の発掘成果によるところが大きい。  @阿波
0618日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 11:31:20.06
>平原1号墓のガラス製品は、卑弥呼の即位後の年代のものであり、つまり平原1号墓は卑弥呼の墓のものである可能性が高い。


ガラス製品など、倭国(阿波)の遺跡からいっぱい出てるよ。

たとえば、「矢野遺跡」や「加茂宮ノ前遺跡」等々。  @阿波
0619日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 12:19:48.03
>平原遺跡以外の卑弥呼の墓の候補は、現状では見つかっていない。


「井の中の蛙大海を知らず」

「天石門別八倉比売神社」裏手の円墳。  

天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」です。

御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神です。

また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)です。

大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われています。

※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日孁女命」=「天照大神」   @阿波

「八倉比賣神社」
https://bqspot.com/shikoku/tokushima/569
http://kamnavi.jp/en/awa/yakura.htm
0620日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 16:01:57.18
>…倭…在海中洲嶋上…周旋五千余里


まさに、倭国(阿波)だね。  @阿波
0621日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 16:18:48.48
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0622日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 16:20:03.47
>超大型内行花文鏡は副葬品としては永久欠番となり、天皇家と伊勢神宮に継承されるだけとなったのだろう。


その九州が、宮中最高祭祀「践祚大嘗祭」でお呼びがかからないというお粗末。  @阿波
0623日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 18:17:02.62
>佐々木先生ははっきり書いていないけれど、畿内から派遣された一大率の居所の可能性がある


倭国(阿波)から派遣された筑紫忌部だよ。  @阿波
0624日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 18:26:47.90
>桜井茶臼山古墳一つで、200キロ以上の水銀朱が使われてるんだけど?


「桜井茶臼山古墳」や「下池山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

桜井茶臼山古墳も下池山古墳も黒塚古墳も
倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波
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