「瀬戸内海を航行できるようになったのは、五世紀 雄略天皇の時期」  @阿波

「風待」港を造り、澪標(みおつくし)を完全に整備しないと、瀬戸内海は通し航行できなかった。

そして「それ」が整備されたのは、雄略天皇の五世紀頃だった。

瀬戸内海沿岸諸国を統制する体制が整い、そういった設備が整ったのは、雄略朝を待たなければならなかった。