>>178
>王都であったという根拠は?

弥生終末期の最大規模の遺跡で、かつ新しく作られた都であること
多くの地域からの土器が検出されており、広範囲の人的交流の拠点であったと認められること
纏向大溝から建設が始まるなど、自生的な都市ではなく計画都市であること

以上を整合的に説明するには、「広範囲に影響を与える存在」の号令によって建設が
始まったとするのが最も合理的

「広範囲に影響を与える存在」は、古代国家においては第一義的に「王」を想定する
ことになるのが当然

以上より、纏向遺跡は王都であると考えるのが普通

>邪馬台国と関係あるという根拠は?

弥生終末期に、倭国において王とされているのが卑弥呼である以上、
上記の王が卑弥呼であると考えるのが最も蓋然性が高い

また、纏向遺跡では東西に軸線を合わせて作られた大規模建物が検出されており
さらにそれを囲む柵列がある
この居館域の広さは最低でも東西150m、南北100m前後の規模
大型祭祀土壙SK-3001がこの建物群に付随して発掘されており
宗教的行事が行われた痕跡として確認できる

宗教的権威として共立された卑弥呼の存在を、
祭祀遺構から直接推定できる遺跡でもある

根拠としては、十分だろ