<萬二千里の変遷>
淮南子:碣石山→東方之極
後漢書:楽浪郡→倭
魏志: 帯方郡→倭

要は中国の国境から辺境まで「萬二千里」と観念距離を置いているわけ
中国の範囲が拡大していっても「萬二千里」は変わらない