その超重要な『隋書』にはこう書いてある。
・俀王あり、姓は阿毎(アマ)、字は多利思北孤(タリシヒコ)
・太子を名づけて利歌弥多弗利(ワカミタフリ)となす。

押坂彦人大兄皇子
・太子彦(タイシヒコ)と呼ばれる。
・子供(ワカ)の名前は田村(タフリ)である。

押坂彦人大兄皇子が、『隋書』に登場する俀王・阿毎多利思北孤であることがわかる。