昔と今で呼び方が変わった日本史用語挙げて [無断転載禁止]©2ch.net
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【古代】
「エミシ」という言葉が、はっきりと「エミシ」と訓むべき言葉として出るのは、
『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年十月の条に載る久米歌の中においてである。
愛瀰詩(えみし)烏(を) 毘ダ利(ひだり) 毛々那比苔(ももなひと)
比苔破易陪廼毛(ひとはいへども) 多牟伽毘毛勢儒(たむかひもせず)
歌の大意は、「えみしを人は一人で百人にも相当する強者(つわもの)だと言っているが、
俺たち皇軍には抵抗もせずにやられてしまった」というほどのことである。これは道臣命
(みちのおみのみこと)が大久米部(おおくめべ)をひきいる神武の軍が、ヤマトに入る前に、
忍坂(おしさか)(=現桜井市忍阪。奈良盆地の南東隅)で敵を宴会に招き、敵が酔いつぶれた
ところで一気に剣を抜いて殺してしまった後、戦勝を悦んで久米の子ら(=久米部の祖ら)が
歌った歌である。思いもかけぬ強敵を倒せたことの悦楽が歌われている、と言えるであろう。
「皇軍(みいくさ)大きに悦びて、天を仰ぎて咲(わら)ふ」と言われているのである。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/emisi.htm
【平安時代】
空海は、蝦夷を「羅刹の流(たぐ)いにして非人の儔(ともがら)なり」(人を食う
鬼の類であって、非人=悪鬼の仲間である。)とか「人面獣心」と罵っているので
ある。
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-10.html
学問の神様菅原道真も、蝦夷の性は「狼子」であり、「野心」をもっているとのべ
ているのである(『菅家後集』)。さらに、帰服した蝦夷である俘囚でさえも、
律令国家の渡来系の支配層や平民とは民族的に違うことから、『類聚国史』には
「夷俘の性、平民に異なり」とかかれているし、『日本三代実録』にも、「夷俘の
性、本より平民に異なる」などと記されているのである。
【室町時代】蝦夷がエタに
室町時代には、「卑しい者とは結婚しない。血は一度汚れるときれいにはならない。
穢多の子はいつまでも穢多である」という差別意識まで記した史料が明確に現れ
http://www.kyoken.jp/36/houkoku36/1houkoku36.htm (蘇我親子が討たれた事件としての)大化の改新→乙巳の変
源平合戦→治承・寿永の内乱
応仁の乱→応仁・文明の乱
石山本願寺→大坂本願寺 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています