百済の前身である馬韓、その都は月支国であるという
「月支」これは「日本」と対になっている
それも日本がメインで月支がサブだ

当時日本は国名として存在しなかったはずではあるが、記紀にはしばしば日本と書いてヤマトと読ませる事例が登場する
このことから考えて半島の月支国(おそらくは後の熊津)は列島の日本国(大和=邪馬台国)によって拓かれたと考えられる