出雲といえば魏志の投馬国の五万戸
あれはどこをどうやったらあんなに人口をカウントできるのか

奴国と高句麗が三万戸
邪馬台国(大和)が七万戸
馬韓の大国で一万戸、小国で数千戸

弥生時代末期までに出雲が土器の装飾をする暇もないほど稲を量産したと考えなければ
この異様に戸数が多く、大和の政治にも首を突っ込めるほどのプレゼンスを持ったパワフルな出雲は存在しえないだろう