【大刀から】日本刀の起源U【太刀へ】 [無断転載禁止]©2ch.net
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古来より武士の魂と言われて来た日本刀
実利の武器であると同時に精巧で優美な造りから辟邪信仰の対象ともされた
北宋の当代随一の碩学・欧陽脩(1007〜1072)が「日本刀歌」を詠んでいる
(※焚書坑儒で失われてしまった中華文明を日本刀に見出そうとする意味合いがあるが・・・)
また、その起源を蕨手刀に求める説に従えば最古のものは信濃国から出土しているし
日本刀への過渡期とされる毛抜型太刀の最古のものも信濃国から出土している
鎬造りで反りのある太刀(刃長二尺以上の日本刀)はいつ?誰(どのような集団)によって生み出されたのか?
大いに語ってください
前スレ
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1460267988/ 江南ブタ鼻台湾ウンコ便器 を洗浄しなければ日本刀に対して極めて失礼だろ? 鼻孔が大きく著しく正面に露出している江南ブタ鼻はホモ・サピエンスには類を見ない形状である(ウィキペディアより) 江南ブタ鼻台湾ウンコは人間のフリをしたジャワ原人の子孫w 武士はツングース系の血を引いてるので日本刀スレで江南ブタ鼻台湾ウンコがどんなに騒いでも同調者は居ない >>330
射精エベンキたんは小学生の美少女だからすぐに洗脳されちゃうんだね
かわいいね
おぢさんといいことしようよ(*´Д`)ハァハァ 縄文人も単一民族ではなかった?!
縄文中期に集中する貝塚は収容所跡だったのだ
侵入してきた新しいタイプの縄文人が旧石器人の子孫である先住縄文人を海浜部に隔離して
奴隷として食糧として消費され捨てられたのである
出土する人骨の散乱状態や骨に残る鋭い石器で削ぎ取られた痕などから推定された 食人族は貝類が好きなんだろ
アミノ酸の成分構成が人肉と似てるらしいからねw 縄文中後期に貝塚を遺した食人族の侵入があったって事だな
こいつらが後の鬼と呼ばれた連中だろ メディア主導のスローライフで縄文文化がブームになってるけど
本当に平和で幸福な社会だったのか?疑問だ .
BC11〜13C頃 沿海州南西岸よりシニ・ガイ文化人が渡来。
出雲あたりに定着し刻目突帯文土器を伝える。
BC10C 刻目突帯文土器人、九州北部に進出。
半島との交流を通じて水田稲作を導入。
. >>340
毎回途中で体力無くなって逃げてる朝鮮人がまた何か言ってるよ
きっしょい醜体障害で精神病持ちの射精エベンキ非正規
それで回答まだか?まさかそこまで弥生形質が揃ってるのにまだ縄文人になりすましてないよな?
また苦しくなって辛いから逃げちゃったのかな?
今日も結局具体性ゼロだけどまた完敗かな朝鮮系渡来人
電車に飛び込むんじゃないぞ いつまでたっても具体性のないチョン顔の精神病自殺予備軍でしたとさ
早く精神病院にでも入院してくれよ頼むから
見てるだけで気持ち悪くなるんだよこっちが
チョン顔なのに捏造して縄文系になりすます渡来人さん
まさか自分が縄文系だなんて妄想してないよね?
ほれYESかNOで早く答えろ >>340
とりあえずお前が縄文系とは無縁だと証明できたみたいで何よりだよ
鋏状咬合に直毛まで揃う現代人のお前が縄文系である可能性は科学的にも全くない
まあ必死に脳内で形質をすり替えて捏造してるんだろうが
科学的にありえない時点でもうどうしようもないから現実見てな
そもそも一家揃って高顔に直毛と鋏状咬合まで揃ってるんだから自覚しろよ 蝦夷が京都の処刑場で罪人(仏教僧含む)の首を斬っていたって説もあるんだけどね もっと持ってこ〜い❗️(首を斬られるやつらを)
バッサバッサバッサバッサバッサバッサ
💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀 >>346
京中でそれはない
勉強不足のようだ 出直しな 弥生期に北方モンゴロイドが渡来した事を証明する証拠遺跡とその証拠生活文物。
証拠遺跡・・・・・島根県板屋V遺跡を初めとする刻目突帯文土器が出土する縄文晩期から
弥生前期前半までの山陰、山陽、四国、九州北部の方々の遺跡。
証拠生活文物・・・・・突出した口縁部に刻み目が施される沿海州南西部のシニ・ガイ文化の土器と
特徴が一致する刻目突帯文土器。
cf.証拠遺物として弥生前期の金隈、吉野ヶ里、弥生中期の土井ヶ浜の渡来人骨はいずれも
沿海洲やアムールやモンゴルあたりの北方民族に極めて近い形質というコンピュータ形質解析での
調査結果が得られている。 歯と石刃って機能的には同じだよね
だから「刃」と「歯」は同音異義語なんだ
朝鮮語の「날 nar < ᄂᆞᆶ nʌrh(刃)」と「이 i < 니 ni(歯)」も似ている
だが満州語の「jeyen(刃)」と「weihe(歯)」は似ても似つかん
ここから日本と朝鮮の刀剣文化がツングースエベンキランドとは根本的に異なっていることがわかる 朝鮮語で「歯」を表す単語に「이빨 ippar」というのがあるんだが
オーストロネシア祖語にはこれにそっくりな「歯」という意味の *nipen がある
ipparの-par、*nipenの-penは日本語の「歯 ha < pa」と同源のものだろう ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 蝦夷は自分の主君の真上に吊るされて拷問を受けるんですね 登呂遺跡は弥生中期の遺跡。
スキの登場は九州北部で弥生前期で
弥生開始から200年以上経った頃で >>359
蝦夷は自分の主君の生首の真上に吊るされて拷問を受けるんですね ■■■■■
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■■■■■ ■■■■ < スレ違いなんだよさっさとうせろ射精エベンキ
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■■■■■ ↑江南褐色エラ張り短顔ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇原人が祖先のタイワネシアのひとw >>357
やはり日本刀は東日本に原型がある以上日本列島特有だよなあ 白村江の戦いで負けたのは日本刀が当時発明されていなかったからだな
もしあの頃に百人斬りしても刃こぼれ一つなく弾丸すら切り裂くという恐ろしい殺戮兵器日本刀があったらなまくら支那人どもはたちまちのうちに悉く切り刻まれて倭の軍勢は無事に百済を再興したことだろう 鎌倉時代の刀は未だに美術史上の最高峰だからな、その原型が確かに白村江の
戦いにあるのかもしれないよね 日本の刀鍛冶たちは白村江の敗北から何を学んで日本刀を開発したんだ? ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>369
>>370
確かに日本刀は機能的にもその操作特性からも船上での白兵戦に向いている
元寇のとき、日本水軍の夜襲斬り込みで真価を発揮した 日本刀は鎬造りで長尺にも拘らず究極の軽量化と強靭化の共存を実現している
片手で操作できる設計の為、姿勢・体勢バランスで足場の条件をも克服している 白村江で負けてから前期倭寇までやられっぱなしだったのか?
三国史記には記紀にはない統一新羅への倭人の襲撃を撃退したという記事があるが
朝廷の関与しない攻撃があった様に見えるがはたして 剣豪の故郷として歴史上で先行するのが東国の地である。
関八州は古来尚武の地であった。
平氏政権を倒して武家政治を作り上げるのに大きな役割を果たしたのが東国武士団である。
東国はその後の日本の武家社会を支えるエネルギーの培養源であったといってよい。
武技の伝統は鎌倉、室町時代を通じて、この地に脈々と生き続けた。
その脈絡の一つの中心となるのが、古来から軍神ととして崇敬された鹿島、香取の両神宮の鎮座する常総の地であった。
(原田伴彦・大阪市立大学名誉教授)
▼被差別部落の人口
(原田伴彦『被差別部落の歴史』より)
近畿50%
九州12%、中国12%、四国12%
関東05%、中部05%
其他04% 白村江で戦ったのは唐軍であって新羅は後詰めだし
それ以降はちょいちょいお互いの国の海賊が辺境荒らすことはあっても応永の外寇に至るまで両軍が干戈を交えたことは皆無 新羅に関しては三国史記の文武王本紀に回想で出てくるぐらいだな。
日本軍に呼応して沿岸を固めてた百済騎兵を追払いましたってだけ。 鎌倉時代の組打ち首切り用として環頭大刀から進化したのだが
その後倭寇の船上近接戦の武器としてさらに完成した そう言えば
太刀の草創期の伝説の刀工は筑前の人だったな
海賊と多少関係あるかも >鎌倉時代の組打ち首切り用として環頭大刀から進化したのだが
どこから突っ込めばいいのか ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 敵船に乗り込み操船不能にするために
帆を操作する太綱を一刀両断するのにも日本刀は使える >>339 平和と言うか不必要なまでに重畳的に他者を搾取して利潤や貯蓄を貪るといった凶悪な発想を持つ者は未だに現れて居なかったって事だろうな 船上用にしては鎌倉頃の太刀は長すぎる
南北朝や後期倭寇が扱う大太刀は完全に陸戦用
船上なれば戦国時代の片手打ちがちょうどよい 十束の剣、布都御魂剣のような内反り片手持ちの神剣、奈良平安の柄まで一体の直刀
それが反りの強い両手持ちで柄と刀身が別の作りの日本刀になった理由は
首を切り落とすために進化したとしか思えない 首を切り落とす為に両手持ちとか意味不明過ぎるんだよね 反り刀は最初はやんごとなきお方々のファッションから始まったんだよ
彼等は大陸から商人や外交官のもたらした物品を見て大陸の進んだ文明に憧れ騎馬刀を持て囃した
だから平安期までは不必要なまでに反りは大きく為り全体も見栄えする様に長大化して行った
一時は馬を降りると反り過ぎて突けず長過ぎて曲がり易く使い物にならない次元にまでファッション化は進行した
平安末期から鎌倉初期の戦乱期に身分の高く無く馬に乗る事も無い歩兵にも刀が大量供給される過程で実用的な反りの大きさや長さに戻って行った
そして鎌倉初期までに現在の日本刀の原形は完成した 適当にガンガン叩いてたら反りが大きく成って当然なんだよね
単に技術が進歩しただけ >彼等は大陸から商人や外交官のもたらした物品を見て大陸の進んだ文明に憧れ騎馬刀を持て囃した
その当時の中国の「騎馬刀」って具体的にどういう形してるんだろう?
何か遺物が残ってるかな?
というかその説は何が根拠なの? 首取だったら反りも長さもいらん
斬首刑なら長さはいるが切っ先が退化して無くなる
>>393
賛同させる気のない長文荒らしだからほっとけ ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 歴代の山田浅右衛門が斧もギロチンも使わず
ずっと日本刀を使っていた
日本刀の機能として何が必要なのかここで分かる >>396
それは日本刀の形式が成立した平安中期に求められた機能だったんですか?
その証明となる具体的な根拠があれば示してほしいな BC3C末、徐福の一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く原始的な穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 日本刀の反りは蕨手刀からとか機能性から生まれたとか種々の説があるが
実際には日本人の美意識があの反りを生んだのが現実で理由は後付けだろう
時代と共に日本人にとっては本身だけを飾った時に
茎尻から切先までが左右対称に近い刀を一番美しいと感じる様になったのだろう 古刀の注文を受けたと喜んでた可笑しな奴がいたが、お金を貰って作ったのかなー?
資格がないと日本刀を作れない事も知らない馬鹿なのか、それとも刀匠でも精神病に罹った奴なのか。
どういう古刀を再現したのか画像はまだか〜?www >>402
床の間にある刀掛けの太刀と拵を見ていたら鳥居の様でなんと綺麗で落ち着く事か
きっと日本人の美意識が具現化された物だからだろうと独想した次第 そりゃ、自分(日本人)は屑だから周りの日本人も屑なんだ
つってんのと同じだな 起源とか美意識とか答えの出ない話題はどーでも良いわ。
それより屑鉄信仰刀匠の新作再現古刀の画像はまだか〜?www >>405
つーかそんな奴はここにはもういねえよ
画像アップどころかただの荒らしの大ホラよ ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 実際古刀は包丁鉄に近いから新刀以降の作品より粘りがあるし
今より折り返し鍛錬が少なくて済むから肌も粗めが故に荒めだし
丸鍛えだから接着不具合が出来にくく丈夫だよ
今で言えば3級玉鋼で9〜11回前後の折り返し鍛錬で丸鍛えで作ってもらえば
古刀と見間違うほどの名刀が出来るんじゃないかなあ
あ俺その荒らしの屑鉄信者じゃないよ >>368 白村江で足りなかったのは唐軍の要になって居た舷側の高い船からの遠射の矢を防ぐ防禦板だろ
当時の海戦では大型船を小型船で寄って集って潰すには刀より船体を喫水線付近で壊して沈める為の木槌石鎚の方が重要 >>409
白村江で足らないのは統率力であって
刀剣だの木槌だの小道具の有無は重要なことじゃない 唐軍がどんな船使ってたなんてわかりようがない
>唐軍の要になって居た舷側の高い船からの遠射の矢を防ぐ防禦板だろ
こんな記述は唐書にも日本書紀にも三国史記にもない 日中戦争では中国兵を日本刀で斬りまくったからなぁ
昭和初期の注文刀こそ切れ味と堅剛さを併せ持つ史上最高の実戦刀だぉ >>411 唐が用いて居たのは二艘並列に連結した専門の弓兵も乗せられるカタマランか乃至は箱舟型の舷側の高い大型船だろ
これぐらいは工夫して無いと船の性能が対等なら操船や航海術に長けて居た倭船を圧倒する事は難かったに違い無い >>410 百済王子が親戚助けたさに突出しちゃって数的劣勢の上に陣形が崩れたんだってね >>412
現代技術でもって最高の刀剣が出来ないものか?
日本刀(美術刀)では製法、素材に縛りが有り過ぎ。 ZDP189とかカウリXとかだと包丁なら有りでも日本刀として作って通常使用をしたら衝撃に負けるでしょう
窒化処理して周りの層だけをカッチカチにしたステンレス鋼刀が良いと思うよ
窒化処理すれば窒化層はビッカース硬度1000近くなるからね
結局のところ高山刀の進化バージョンが最高の日本刀だね
でも玉鋼を使ってないから日本刀として作るのは現行法では原則無理だね >>413
つまり、あなたの妄想じゃないですかヤダー >>393 正倉院とかに沢山残ってるでしょ様々な渡来の手器が
当初は日本には反り刀を造る技術が無かったので始まったジャパンバリエーションの一例が「手鉾」だよ >>415 今だったらレーザー刃付けだろうね
繰り返し研いで使えないけど元々刀は包丁みたいに短く減るまで研がないしw 蕨手刀→毛抜形太刀→日本刀へ進化した説は若干の疑問がある
中尊寺の蕨手刀と播州清水寺の大刀が伝承から平安初期の作でほぼ同時期だと仮定して
播州清水寺の大刀の方が小烏丸に近いし、播州清水寺の大刀→小烏丸→日本刀の方がしっくり来る
蕨手刀→毛抜形太刀も、大刀に蕨手刀の要素を加えたものだろう >>421 うんその頃までは大陸でも日本でも反り刀は下っ端の蛮兵の使う代物だと思われてたんだけど
次第に騎馬兵の威力が認められるに従い高貴な人達もファッションで反り刀を佩く様になった
実務家っぽく見せたかったんだろうね
現代で云う処のミリタリーモードファッションだったんだよw >>422
下っ端なら尚更反りを入れる必要性は無いでしょ
蛮兵なんて造語同然の言葉入れたり単芝生やす時点で胡散臭い 大陸はおいといて
太刀に反りが着いたのは騎兵向けなのだろうか?
大陸の直刀の成り立ち自体、騎兵同士の戦闘が
増えたからと言われてるし
反りがついたのはそれの発展とも考えられるようでどちらかといえば抜きやすさとか打撃用途じゃないのか 反りは引き切りのためやな
騎兵で直刀だと脱臼リスクが上がる じゃあなんで後漢から唐代まで直刀が主流だったのか?
時代は違うが西欧のサーベル騎兵や騎士は直刀や剣が主流じゃないすか
確かに冶金が低かったけど中世前半までじゃん。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています