毛沢東は独立後日本軍の中華民国攻撃を日本政府に感謝している。

それに、日本が満州に残した関東軍の兵器武器は中国内戦に非常に役立ったと。

又、日本が満州南部に残した工業と満州北部に残した開拓農地は、
その後の中華人民共和国の発展に大きく寄与したと。

満州人の親日性はこのとき生まれたのある。
日本軍部は満州国を作り投資開発こそしたが、満州人を支配搾取しなかったのである。

その証拠は、満州人の養子となった日本人残留孤児の多さにみることができる。
又、満州人の親日性は、満州人の日本留学生の多さにもみられる。