また、自分もうっかり士族の経済的状況に偏った議論をしていたが、
そもそも論として前掲園田の第2章「武士から士族へ」で
「これらの特権剥奪は身分制の解体、あるいは定められたばかりの士族という族称でカテゴライズされた社会層を解体する狙いがあった、
と考えるには疑問が残る」として、以下のような検討を行っている。

・平民という呼称が太政官布告に出現するのは明治3年9月の布告からで、
華士族の族籍ができた明治2年より時期が遅れること。
・明治4年5月の布告および明治5年11月の布告により、
士族に除族閨刑という「刑罰」が課され、平民籍編入というペナルティが定められていること。
また官職にあるものは士族の待遇を受けるとされ社会的栄誉を与えられていること。
・木戸孝允や岩倉具視らが士族と農商をおのずから異なり、社会の教範としての存在を期待し、
その保護を強調していることに見られる政府内の特別視的風潮。

他にも先行研究で明治初期の士族改革については
・財政的負担を伴う給付、身分特権は否定
・士族の意義については強調、ゆえに職業選択など完全な自由につき制限が課される
と言った矛盾した対策が取られていることに注意を促すものが結構あるよ。読んだ限り。