>>81
バカはお前だよ…。
庄屋(肝煎)は年貢の貢納代行など行政末端を担う層で、
豪農・富農のような経済的階層を意味しない
(庄屋が富農とは限らないが、富農層は庄屋に限定されない)
高度な読書階級・知識層という意味なら奉公人も含めた武家人口の3倍
おおよそ全人口の1割はいると見ていい

しかも武家及び奉公人の多くは微禄で帰農帰商が勧奨されていたような層なのだから、
士族が有利な立場にあったことは間違いないよ。

あと>>81が述べてるのは「下士」の境遇なのだが、
彼らは高度な教養を持たず微禄だったから、もともと武士階級の中では貧窮に陥っていた層だったと言っていい
明治政府の施策さえなければ安全に食えてた層ではない。

>しかも群区長クラスは藩執政レベルでその直近下位の区長戸長は庄屋がほぼ。

戸長は明治15年ごろは4万人ほどおり、士族が2割で平民が8割を占めていたが、
明治21年には平民出の戸長が3万人から1万人を切るまで減少したのに対して士族出の戸長の数はさほど変わらないから、
「庄屋がほぼ」などという状況にはなってないよ。
言っておくが「庄屋」だって士族と同様の経済的変動にさらされ、没落した者が多い。
たとえば士族は帰農して失敗しても藩に復籍を願い出ると微禄で再採用される例が結構見られるが、
庄屋にはそんな特権は当然ながらない。