戊辰戦争とは何なのか? [無断転載禁止]©2ch.net
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東北諸藩が朝敵の汚名を着てまで旧幕府勢力や会津藩に味方する義理なんてあったのか?
ここがいまいちわからない >>85
たしかにあんたがいう通り、こういう庄屋は没落していくケースはたたあったよ
( 江戸初期の岡藩 )
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm
↓
〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
>>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、
>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。
>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、
>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、
>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。
>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。
>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。 庄屋サマは、戦国以前からの在地の有力者がなってるから、
家単位で独立していた家は、大名家、旗本以外では唯一無二の領主層の財力と権利と権威をもってたのが庄屋様だからな。
貧困層のなんの権利も権威もない、
帰農や古事記まがいの微録奴隷奉公が優遇と感じる武士様とはちょいと、戦国以前からの出自が違うもんで、よーわからんわそん価値観笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています