倭在韓東南大海中、依山嶋爲居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。【案:今名邪摩(惟)堆、音之訛也。】

これは先にも掲載した范曄が編纂した後漢書倭
伝の書き出し部分ですが

ここに「邪馬臺」という文字が出てくるのでここに注目し独自の解釈解明してみます。

この「邪馬臺(國)」とはいったいなに?という疑問がまず湧きます。で前に書かれた文を読むとその地域の自称王達のリーダーが居る場所の説明みたいだとわかります。
でもいきなりリーダーは邪馬臺に居ると言われても倭地を詳しく知らない読み手は戸惑うこと必至、海外の人に安倍総理の実家はヤマグチ県だといきなり知らせるようなもの
しかも前文を読み返せば、【倭在韓東南大海中依山嶋爲居】とかなり大雑把な地勢的な説明
それならこの大倭王の所在地もそれらの説明と大差ない説明だと解釈してもいいでしょう。
つまり、邪馬臺とはその地名ではなく地勢的な位置を示す言葉ということです。

邪馬臺國って日本のどこにあったの?なんて最初からナンセンスな疑問だったのです。邪馬臺は東京とか横浜とかの地名ではなく、山の上とか川の近くとかいった地勢的な位置の説明なんだと
これだけの発見でも相当な進歩ですね。