この倭人のそしてこれらを統括する女王の都のある九州島は、伊都国の港から半時計回りで海岸に沿って三十日(一月)水行し、伊都の真逆にある南端の折り返しまでの距離と
その折り返しから今度は九州島の東側の海岸を陸行すること同じ距離で女王の都する所に
つまりこの女王の都する所は、九州島の東側にあるという証明に。
そしてこの投馬國の南のエリアもまた邪馬壹ということ。

で、女王の住む都とはいったいどの辺?

結論から先に言えば緯度的に不彌國の東側。
女王の居る所の反対側(西側)に有るから「不
彌國」
要するに、この九州島は一番西に末盧國、その東に(伊都國&奴國)そしてその東に不彌國、更にその東に女王国(女王の都)そして東側に海。という東西のライン。
そのラインの南は、西側に投馬國、東側にに女王國。更にその投馬國(狗奴國)や女王國(狗奴國)の南には『狗奴國』が狗奴國もまた邪馬壹國の一部。

なぜここで狗奴國が登場するかは後程説明。ここではあくまでも便宜上必要なために。