『京都の歴史 第一巻』(京都市編)
【奠都以前】
仏教信仰、官司制の二つの移入に、朝鮮半島からの帰化氏族が重要な役割を果たしており、しかも帰化氏族の中核をなす秦氏の根拠地が
この京都盆地に存在したという事実を忘れることができないであろう。
【古代山城の氏族】
南方の大和盆地に近いところには高麗氏が住んでいた。その氏寺が高麗寺である。
淀川流域の河内国交野郡地方には百済王が蟠踞しており百済廃寺があって百済王氏の氏寺であった。
【秦氏】
秦氏の歴史は新羅につながるものである。
秦造の祖とされる弓月君が朝鮮より渡来したと伝えられていることや、『魏志』に見える辰韓人の記事、あるいは秦氏のもたらした技術が新羅系の技術であって、
秦氏の奉じた仏教が新羅系であることなどからも推定される。
【伏見稲荷大社】
伊奈利社(稲荷大社)の祭祀が秦氏によってなされたことは確実であって、秦氏後裔の人々が歴代稲荷社の有力祀官となった。
【松尾大社】
この社の創建にも秦氏が関係している。
洛南深草から洛西太秦にかけての秦氏の勢力は、土着神の祀官層を形成した。松尾大社の場合でも長く秦氏が社家になっている。
ついでながらにいえば、鴨県主家とも秦氏が姻戚をもっていたとする伝承が、「秦氏本系帳」や稲荷社祀官家「大西家系図」などにみえる。
【平野神社】
平野神社の第一座の今木神は桓武天皇の生母高野新笠が篤く信じた蕃神であった。
今木とは今来のことで、新しく帰化してきた今来の民が、新しく祀り伝えた神ということである。
「愛宕郡某郷計帳」にも今木氏の集団が見えているように、山背(山城)地方には古くから今木を名乗る人々が住んでいたのである。
こうした新来の民が新羅系の帰化集団であって、百済王を神として祀っていたのであろう。
【八坂神社】
高句麗人(狛人)意利佐の後裔といわれる八坂造の神。