明治維新の時点で大名や堂上家の身分を持っていなければ叙爵は難しかったということだ
植月御所や北山御所が維新まで存続し、南朝功臣の子孫たちが御所から公卿に列せられたり、
昇殿を許されて弁官や国司クラスの官位を得ていれば、公家華族として認定された可能性は
あるが、残念ながら植月御所も北山御所も維新のはるか以前に消滅してしまった