明治維新政府は、もともと南北朝問題については、中庸な立場で、イデオロギー
より学者の研究を尊重する立場だったように見える。
北朝や足利尊氏についても、公平な見方をする要人が思いのほか多かったのでは
ないか。南朝正統論は、在野の論者や思想的に極端な議員が、政府を吊るし上げる
形で出てきた。
(今で言えば、原子力問題で政府を攻撃する山本太郎議員のような感じ)
跳ね上がった在野勢力によって、政府が次第に中庸さを失い、極端な南朝正統論に
傾いていったように見える。