>>270
赤松円心の事やな。
初めは南朝の味方だったけど討幕の功績を無視されたから北朝に寝返って、以降は死ぬまで北朝の味方。
だから南朝方では無いよ。
君の勘違いだ。

ただ、円心には息子が何人もいて、その中の1人(氏範)が南朝方で活動していたが北朝方に攻められて子供と一緒に死んで滅亡している。
*元中3年/至徳3年(1386年)9月2日、摂津中島郡(播磨という説もある)、幕命を受けた細川頼元や山名氏らの追討を受け、子息ら一族郎党100余名と共に清水寺にて自害した。享年57。

これで南朝方の赤松氏は滅亡し、北朝方の赤松氏のみとなった。