浪岡北畠氏は後南朝の皇子を擁立したという形跡が見えないから、居館を「御所」と
称したのは、自らの高貴さを周囲に誇るものではなかったか?
東北の辺境においては、中央貴族・村上源氏の後裔というのは、ずば抜けて
高貴な家柄で、周囲の豪族たちもそれを是認したのではないか?