後南朝の朝廷には、実務を司る地下官人がいなかったため、行政機構としての
実態が伴わなかった。小槻氏のような実務官僚も参加していない。
だから、公家たちが煩瑣を厭わず自分でしなければいけなかったのだが、
結局しなかった