https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%8D%97%E6%9C%9D
後南朝(ごなんちょう)とは、1392年(明徳3年)の南北朝合一後、
南朝の再建を図った南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動とそれによって樹立された政権、皇室の総称である。

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よって小倉宮と北畠の挙兵も、後南朝の運動に入る

>>780
それも一理あるが、幕府への反乱勢力が南朝の天皇を担いでも
味方は増えないし、逆にお世話が後々面倒で忌避されるようになったのかもしれない
畠山義就は、かつて南朝の勢力基盤だった河内や大和を実効支配し、しばしば幕府から
追討の対象になり戦いを起こしたが、後南朝の天皇を担いだりはしていない
享徳の乱で幕府と戦った足利成氏も同様で、
書状では開戦前の年号を使い続けるのみで、後南朝の年号を使うことはなかった