平安時代の源経基(2世王)や満仲(3世)に、高貴さを感じた人は少ないだろうが、
室町時代は平安前期に比べて皇胤が激減しているのでそれなりに高貴さを感じていたと思う。
南朝の皇族の首については大道に晒すということもなかったみたいだし、
出自がよくわからない北山宮・河野宮も壮大な三十三回忌が都で営まれている。
木寺宮末孫が遠州の龍雲寺にいたが、8世孫が大宮様とよばれたという。