<古代>
@ 713〜715年(和銅6年〜霊亀元年) 『播磨国風土記』:村上足島等が上祖「恵多」の記載
A 935年(承平5年) 『和名類聚抄』:「屠児」の訓を「恵止利(えとり)」とし、「牛馬を屠り肉を取り鷹雞の餌とするの義なり」と解説

<中世>
B 1275年(建治元年) 『名語記』:「河原の辺に住して牛馬を食する人をゑたとなつく、如何」「ゑたは餌取也。ゑとりをゑたといへる也」
C 1264〜1288年頃(文永・弘安) 『塵袋』:「きよめをえたと云うは何なる詞ばぞ」に対し
「根本は餌取と云ふへき歟。餌と云ふは、ししむら(肉叢)鷹の餌を云ふなるへし」
D 1296年(永仁4年) 『天狗草紙』:「穢多童」(穢多の初出)

<近世>
E 1644年(正保元年) 江戸幕府の公文書:「穢多」