崇神天皇即位(紀元前97年)から神功皇后崩御(269年)まで366年。
平均在位年数11年説に従うなら6代66年だからちょうど300年(60年×5)
を水増ししていることになる。実際のところはこの6代は70年だったかも
しれないし75年だったかもしれないが、日本書紀編者は干支を使って
古代天皇の在位年数を適当に誤魔化していたのだろうか。

神武〜懿徳まで四世代であれば4代44年にはならない。
綏靖は神武が日向から連れて来たのではなく大和で
ヒメタタライスズヒメと結婚してから生まれた子である。
懿徳が20代ぐらいの若死にだったとしても60年はあろう。
前660年〜前477年までの184年から120年を引けば64年になる。

孝昭〜開化までの5代の系図をどうすればいいかが問題。
二世代なのか三世代なのか、前476年から前98年は379年間。
5代19年は短い。では79年なのか139年なのか。三世代で
現実味ありそうなのは79年である。

しかし応神天皇の即位の年を西暦390年として、神武天皇の即位の
年をその66年+79年+64年=109年前の西暦181年とすると、神武は
ヒメタタライスズヒメすなわち卑弥呼の夫なのか、一代ぐらい前の
人物ではないかという疑問も出てくる。