崇神は神武を祖神として持ち上げ、神武の血筋を正統とする男王朝を立ち上げた。
が、そこで邪魔になったのが、神武が幼い故に宮崎に置いてきたキスミミの末裔。
キスミミの末裔が南九州でそれなりの王朝を築いていたであろう。

これを討ちに行ったのが12代景行。
景行は系譜では崇神の孫になるが、11代垂仁は崇神との父子関係はなく傍系であろう、
景行こそ崇神の子であると思われる。

景行の九州征伐の目的は「神武の正統男系王朝は新生大和王朝一つで良い、二つもいらない」というもの。