日本書紀は元々雄略紀が第一巻
雄略紀から日本書紀執筆時期の「近代」にあたる部分は
中華帝国人に執筆してもらった

だからこの部分が日本書紀の本編=本紀であり
紀伝体で言うところの「紀」すなわち歴史的経過を記そうとしたもので
他国特に中華帝国人の目に入ることを前提とした
正統な漢文となっており中国書からの丸パクとならないよう配慮がなされている

実際には少なくとも口承伝承の歴史範囲では「土着」の氏族の共通の伝承となっていた
雄略もはっきりとした時代は当時の人間にはわからなかったし
雄略より後の何世代もの大王の伝承も怪しげなものだった

仁徳なる人物が実在してかつその嫁が書いた詩が本物なら
仁徳は雄略よりずいぶん後の時代の人物になってしまうとかね


これに対し日本書紀本体の執筆からずいぶん遅れて書かれた
雄略紀より「前」の部分は百済訛り+和習のなんちゃって漢文
中国書からのパクりにもいっさい躊躇がない

この部分は元々紀伝体の「列伝」つまり紀=歴史の流れとは
別に人物評を記すもので
その順番は実際の歴史の順とは関係がない
ましてや血統のつながりなんぞとは本来まったく関係がないんだよ


日本書紀の場合本紀には含まれなかった各氏族の口承伝承を
「列伝」としておさめる作業の中で各列伝をすべて「紀」=歴史的経過に書き換えた
そのずいぶん乱暴な細工がなされたのが日本書紀の「前半部」