箸墓の埋葬者が孝霊天皇の皇女でその人物が卑弥呼で
卑弥呼と同時代の天皇が崇神天皇かというとやっぱり
違うのではと思う。孝霊天皇の即位年は「辛未」とされ、
これは崇神天皇が卑弥呼の時代の人物なら191年、
卑弥呼より後の西暦300年頃の人物なら251年
だけど、孝霊は景行天皇の皇后、播磨稲日大郎姫の
祖父とされ(したがって日本武尊はひ孫、仲哀天皇は
玄孫に当たる。播磨稲日大郎姫が景行の曽祖父の従妹
というのは不自然)、日本武尊と年齢が近く景行〜仁徳
の五代に仕えた武内宿禰が孝霊の玄孫であり仁徳天皇の
皇后磐之媛の祖父であることから、孝霊の即位年は仁徳の
時代から逆推測して191年よりも251年に近く、
倭迹迹日百襲姫命も卑弥呼の死後に誕生した可能性が高い
と思うんだよな。

継体天皇が応神天皇から五世代目というのは十分ありえても
神武天皇から応神天皇までは父子継承が順調に続いてるので
はなく同世代の天皇がかなり混在してそうなんだよね。
やはり歴史を古くするためなのか。