仲哀天皇の没年干支は日本書紀の「庚辰」のほうが
信憑性が高い。それに合うのは380年だ。
応神天皇の時点で王朝が変わったという見方もあるがそれは置いておき、
神功皇后の摂政元年は381年で摂政期間は9〜19年でないかと思う。
日本書紀編纂者は神功皇后が卑弥呼でないことぐらい百も承知で
180年も前の人物に設定した。そうなると神功に続き応神・仁徳・允恭も
史実より過去の人物とされ在位年数が伸びるのは当然のことだ。
60×3年分のズレを潰しまくってどこかで年代を正常にしなければならない。
継体天皇の即位年は526年頃だったがこれを20年前倒しし、彼が越前国で
青年期だったときの天皇、雄略天皇の在位期間を20年ほど前にずらしたことも
影響し、継体・安閑・宣化三天皇の寿命が伸びたのかもしれない。