記紀の中でも二倍歴だったら困る記述もいっぱいあるだろ
安寧天皇は即位前に25歳の年で第二子の懿徳天皇を儲けたし
日本武尊は16歳で熊襲征伐で武功を立てて東国征伐からの
帰途で30歳で若死にした(この時点で子供が何人もいた。正妻と
思われる両道入姫皇女は4人も子供を産んでいる。)し、舒明天皇
が亡くなったときのちに即位して天智天皇と呼ばれる皇子は16歳で、
彼が蘇我石川麻呂の娘を娶るのはこの数年後で、彼が蘇我蝦夷・入鹿
親子を誅した20歳頃には大田皇女、持統天皇の二皇女が生まれている
わけだが、こういう誰が読んでも特に不自然に思えない年齢を実際は
その半分だったと説明するには無理がある