秀吉は「秀頼が自分の種でなくともよい、と考えていた」説について。

秀吉は出世した後も父親の菩提寺を建てておらず、
また取り立てた血縁者も母方だけで父方の血縁が
ひとりもいないところから、私生児説、もしくは
少なくとも「特定される父親はいなかった説」がある。

秀吉の時代の下層農民は苗字を持たず、
村への帰属意識に埋没して生きており、
その性はフリーセックスに近いもので、したがって
血統に対する観念的なこだわりを持っていなかった、という説。

秀吉は旧主筋で美貌の茶々を溺愛しており
その産んだ子なら、誰の子でもよい、と考えていた説がある。

江戸時代を経た現代からは想像できない、
原始的な社会で彼が育っていたことを念頭におけ、という考え方。