>>143
そうだね。
最も若御前の対応も大概だけどね。まずは、池田輝政を巻き込んで
離婚騒動を起こし、秀次と池田輝政が著しく険悪になる原因を作った
(秀吉の仲介で秀次と池田輝政は和解している)
その後、両者は対抗してお互いに側室の派閥を作って、激しい権勢争い
をした。

秀吉は若御前を当初助命しようとしたが、側室が死ぬ以上自分だけ
生き恥を晒すことは出来ないと拒否、流石の秀吉も諦めるしかなかった。