茶々は「二の丸殿」と呼ばれていた。
茶々の二度目の妊娠を寧々から知らされた秀吉の寧々への返事

この間は、すこしかいき(咳気)いたし候まま、文にて不申(もうさず)、
文の書き始めにて候。また、二の丸殿、みもち(懐妊)のよし受け給わり候、
めでたく候。われわれは小(子)ほしく候はず候まま、その心へ候べく候。
太閤子は、鶴松にて候つるが、よそへ越し候まま、二の丸殿ばかりの子にて
よく候はんや。(原文はひらがなばかりなので漢字を当てておいた。)

この間は少し風邪ぎみで咳が出ていたので手紙は書きませんでした。
この手紙が今年の書き始めです。
さて、二の丸殿が懐妊したとのこと承りました。
私のような者は子など欲しくないので、(寧々も)その心得でいるのがよろしかろう。
私太閤の子は鶴松でありましたが、この世からあの世に引っ越して行きました。
(今度懐妊した子は)茶々一人ばかりの子にしたらいいのではないでしょうか。

「茶々一人ばかりの子」とは何なのか。それがポイントである。