「仮面の忍者赤影」の時代とは? [無断転載禁止]©2ch.net
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「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に金目教という怪しい宗教が流行っていた。
それを信じない者は恐ろしい祟りに見舞われるという。その正体は何か?
藤吉郎は金目教の秘密を探るため、飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。その名は…赤影参上!」
「仮面の忍者赤影」はいつの時代のお話なんでしょうか? レスが付かないのでこのスレは終了させます。 失礼しました。 俺も幼少期に見て、当時気になってたんだよ。
秀吉がまだ木下藤吉郎の時代だから、戦国時代の1550年頃、16世紀半ばの話になるだろうな。
にしてはモダンな内容だったような??
凧に乗って飛んでいたような??
手裏剣シュッシュッ、シュッシュッシュッ、赤影がゆくー♪ 秀吉は1537年生まれなので、1550年だとまだ13歳だからもう少し後だな。
1560〜1570年頃が舞台かと。 秀吉がまだ20代後半頃の設定なんだろな。
なんかロボットみたいなのも出てきたような? 昭和じゃないとああいった物語は作れないのかねぇ?
平成だとああいった物語は作れないのかねぇ? 藤吉郎は天下の静謐を願っておのれひとりの才覚で飛騨の赤影に渡りを付けたのだ
織田軍団のひとりとして信長からの命令も過酷であったろうに、まるで後年の天下統一を先取りしたような政治構想力
赤影も藤吉郎の心底を分かって見返りも求めずに怪獣・魑魅魍魎に立ち向かったわけだ 深いな。
幼少時はそんなこと全然分からずに見てたよ。
ただ話の内容的に戦国時代という時代設定は無理があるような気がした。
江戸後期〜幕末頃がちょうど良い時代設定だったかも。 ジョンとヨーコのバラードにのって傘を回転させて飛ぶ変なのが出てくる。 豊臣秀吉が木下藤吉郎と呼ばれていた頃とは1570年か。その時赤影が22歳。父親を継いで、飛騨の影一族の当主となった。秀吉亡き後は、関ヶ原の戦いで徳川方につく。その功労により、一族が十分に暮らせる領土を飛騨に家康から与えられる。その時、赤影52歳。 陽炎と結婚してできた二人の男の子も立派に大きくなって、若い時の赤影に勝るとも劣らない
身体能力を備えたNINJAになった。女の子も一人。美しく育った。赤影が1600年の関ヶ原の合戦で
徳川方に着いたのは、恩義のある秀吉が亡くなったことと、本能寺の変1582年で信長救出に駆け付けた
京都で、甲賀忍者の裏切りで、もっとも信頼していた白影をなくしたこと。彼は当時67歳だった。
赤影の目利き通り、信長、秀吉亡きあとの戦国時代を終わらせることのできるのは、徳川家康であった。
(いろいろその後の赤影のストーリーを考えている。) 6〜70年代の特撮は夢があったな。
今の子どもたちはこういう本格的な特撮を見た事ないだろうな。
ウルトラセブンにしても大人が見ても面白い本格的なSFだしな。
もうこういう本格的な特撮は無いんだろうな。 信長は琵琶湖の南を手中にしてるってことだよな。
その頃には秀吉も長浜城主で羽柴になってるだろうからいつのことだろう 信長上洛の年は1568年。秀吉はまだ木下藤吉郎。上洛の準備を仰せつかっていた。
1573年に浅井家滅亡のあと、近江三国をもらい名を羽柴秀吉と改める。
だから赤影の時代は1568年だね。 赤影を最後に見たのはもう30年以上前でうろ覚えだが、第1話での秀吉は
横山城代の設定だった。秀吉が横山城代だった時期は姉川の戦いの後。
だから1570年6月以降1573年夏の間が赤影第一部。
第三部は信長上洛前だから1568年。 白影:牧冬吉
出羽大館の役人の子として生まれる
柘植の黒兵衛として隠密剣士の前に立ちはだかる
後、回心して霧の遁兵衛となり、隠密剣士に協力する立場となる
老いたりと言えど、赤影に同心する白影として登場
その人気で住まいの江戸と仕事場の京都の間を飛行して往復する日々を過ごす
忍者をやらせれば日本一と評判を取った 青影のその後はどうなっただろうか?大人になってダイエットに成功し、スリムで長身の忍者として活躍する。老いては白影のパターンで赤影の子供達をサポートする 主演の坂口祐三郎さんはこの作品のせいで赤影のイメージが付いてしまい、その後は仕事に恵まれなかったのだそうだ。
こんなに有名なのに生活は全然ラクじゃなかったそうな。 そう言われてきたけど、殆ど仮面で、誰も素顔は覚えていなかった。私も。ただあまりの美形で、先輩の時代劇役者と並ばせられなかったのかな。山城新吾も白馬童子のあと、徹底していびられたと言っていた テレビの子供向き番組でいくら人気が出ても、一人前の役者として認められない
時代だったんだね。赤影後のいろんな番組に出ている坂口さんを見たけど、
ちょいやくでもきちんとメークして、器用に役をこなしていた。赤影しか
できない人ではなかった。赤影を演じたことがいけなかったのではなく、
坂口さんにはいわゆる政治力がなかった。あるいは有能なマネージャーがいれば
また違った道が開けただろう。赤影を否定し、赤影のイメージから逃げ続けた
何十年のあと、やっと「赤影を演じたことを誇りに思う」と悟って他界された。
合掌 人類が初めて空を飛んだ日
通説 1783年9月19日 熱気球 モンゴルフェ兄弟
実際 1568年某月某日 凧 白影 赤影も含めて1960年代の特撮物はヒーローは極端に格好良く、殺陣もダンスのように
美しい。その後の変なリアリズムの殺し合いではなく、見た後がさわやかだ。
子どもたちはこんな番組を夕食時に両親と見て、興奮しながら、道徳や歴史(ほんの少し)を
学んだ。いい時代だった。 赤影をやったばっかりに金になるヤクザ映画のヤクザ役の話が来ても断っていたそうだよ坂口さん。
確かに子どもたちのヒーローがヤクザではマズいよな。 忍者ものに巨大ガマガエル
妖怪ものに巨大クジラの海獣 山城新吾は白馬童子のあとやはりちょい役しか
こなかったので、数年後太ってチンピラ役でやくざ映画に出た。
それもちょい役だったが、コミカルで印象に残った。 山城新吾は司会やタレントさんの山城さんしか知らなかったので、昔はドラマの主役を張ってた大スターだった事を知ったときは驚いたな。 山城新吾も白馬童子のイメージが強すぎると
言われて、映画では端役ばかり。腐っていたそうな。
でも彼はあくが強かった。 山城新吾はタレントで成功したから良いジャマイカ。
どん兵衛のCMにも出てたし。
坂口さんの方は俳優で食えないから魚屋の店員になったり、占い師になったり、風俗ライターになったり、俳優学校の講師になったり、可哀想だった。 テレビ草創期の子供向け連続物時代劇の一篇「紅孔雀」からスピンアウトして作られた「風小僧」シリーズ
これが評判を取った
主演の子役目黒祐樹が同志社中学受験・進学で退いた後に脇役がkら抜擢されて第二部の主人公を務めたのが山城新伍だった
人気に乗じて山城主演で更に企画されたのが「白馬童子」
美形俳優として山城の人気は沸騰した
それだけにその後のピンク映画時代は落ちぶれ感が強かった
その後はテレビの映画劇場解説やロマンポルノ監督と、テレビ出身者の栄華コンプレックス・オナニーの状態
80年代にテレビの司会者に抜擢されたのが再ブレークだったな 鶴瓶が東京12チャンネルのディレクターの態度に憤慨して、社長が飼っている錦鯉を踏み潰した
山城がこれを擁護して一緒くたにdisられた
そういう時代もあったとか 〉〉38
仮面の忍者赤影と四柱推命でググると分かるが
坂口さん酷い目にあってるんだな。そのせいかしばらく鬱ぽい。
魚屋の店員や占い師をして、精神を休ませていたのだろう。 全国の子どもたちのヒーローが魚屋の店員とか、俳優ってどんだけ過酷な商売やねん。 >>42
普通だったら、この業界で一発当てたら、
悠々自適の生活が送れるよ。
なんだかんだと言っても商店街のイベントで、それなりに謝礼が
でるからな。
今だとパチンコやショッピングモールのイベントで引っ張りだこだろうしな。
現実に毒蝮三太夫も割と優雅な生活を送っているだろう? 俳優って出来高制だろ。著作権の権利は当時だから、映画会社とテレビ局のもの。ドラマ1本でいくら。何もないときは収入ゼロ。彼も質素な生活だったらしい 殆どの俳優さんは生活の安定のため副業をもっている。喫茶店やバーを奥さんにさせたり、資金のない人は、先輩の店でバイトする。好きでなきゃやれないね 少年漫画の赤堂鈴之助が人気で映画が作られた
その主役であった梅若正二は国民的人気を得て不遜な態度を取るようになり、スタッフに嫌われて芸能界を干された
便乗して矢車剣之助が手塚しげお主演でテレビ放映された(1959)
手塚はその後アイドルグループのスリーファンキーズの一員としても活躍した
それでもその後は名前を聞かなくなっていったが、'80年代、晩年の彼が居を構えた大阪高槻のクラブでオールディーズナンバーを歌う彼に遭遇した
矢車剣之助っと声を掛けると、そんな古いことを言う客は初めてだと言われた >>45
その副業で躓いて、かえって仕事に精を出す羽目になるのが昭和だよなww
噂の真相いわく。仕事熱心な芸人は借金だらけだ。
借金がないと芸人は仕事を真面目にしないのではないかな? >>47
それは藤田まこと。奥さんが3億円の借金を作って、それを藤田は完済した。
彼も苦労人。旅芸人の家に生まれ、どさ周りをしながら芸域を広げるが
主役がなかなかこない。やっと掴んだ「てなもにゃ三度傘」の主役。5年間?
続いたことで今度はそのイメージがつきすぎて、他の役がこない。
必殺の中村主水役で再ブレイク。人生は長いもんだ。 その藤田まことも必殺シリーズを降りることになる。
毎回同じパターンで芝居がないと。
年を取って殺陣がつらくなったのもあるかも。
それも借金を返済してからなのか。 「仮面の忍者赤影」の時代から「仮面の忍者赤影」制作の時代にタイトル変更
になってきた この流れなら大阪万博や全共闘も語ってもいいですか? 面白いな。万博は難しいが、赤影以外の忍者物と全共闘に見る革命闘争について語って見たら? 全共闘はカムイ伝とか読んでた
白土三平の忍者武芸帳は唯物論的史観であるなんて言われてたし
白土三平は親の影響で共産党員になろうとした経歴はあるけど、漫画書くときは別に唯物論とか考えてなかったんだろうけど
経歴を知っている者が勝手に囃し立てたんだろう
なお、カムイ伝は完結に向けて未だ執筆中とか 忍びの者は赤旗に連載されていたとか。それまで忍者はヒーローだったが、忍びの者は権力者に搾取される哀れな労働者階級となった。その頃から左翼が芸能界を浸食してきたのか。 坂口さん
キカイダーでゴールドウルフの人間体を演じてたな
見てたときは気がつかなかった それ以上におまえが気づいていない事は
ここが日本史板であるということだ。 日本史は戦国時代や江戸時代だけでなく、現代史も大事だ。ところで、キカイダーでの坂口さんの出番は多かったか。彼の出演番組と映像を探している スレを立てた者です。生きてたんだ!うれしい!
「仮面の忍者」全4部構成。
第1部では甲賀幻妖斎率いる新興宗教、金目教の謎を暴く。
第2部では甲賀幻妖斎が卍党を率いて再登場。ぎやまんの鐘に隠された謎を追う。
第3部は信長暗殺を狙う根来忍群との戦い。巨大怪獣が多数登場。
第4部は飛騨一族の秘宝をめぐっての魔風忍群との戦い
ぎやまんの鐘って何なんでしょう? マジレス。オランダ語のdiamant(ダイアモンド)から来ている。ガラス細工でダイアモンド型にカットしたもの。切り子細工みたいなもの。
このスレ、伸ばそうよ どうもありがとう。
このスレに興味・関心を持ってくれる人 大歓迎です。 diamantがきやまんならば、きりしたんはcristan、英語ならクリスチャンだな
伴天連(ばてれん)はパードレ
パードレは英語ならファーザー、教父、神父のことだな
赤影には切支丹伴天連の秘法、妖術を使う者は出てこないのだろうか 今日、キリスト教は実在する宗教。ミッションスクールも多いから、抵抗がある。もちろん当時のキリシタンばてれんは祖国と通じていて、えげつないこともしてたそうだが。ザビエルの創った学校も残っている。上智大学 歴史学者藤木久志先生の説
「忍び・乱破・素破・濫妨人・流れ中間などは、戦国の乱暴な一種の傭兵のようなもので、
後に彼らの活躍が、江戸時代の忍者の創作の元ネタになった」
豊臣秀吉は、最初に今川家家臣の松下氏に仕え、その後、信長に仕えています。
まさに流れ中間そのもの。手裏剣を使ったり、消えたりしないものの「工作員」として
優秀だったのかもしれません。 <忍法の歴史>
立川文庫(忍術) 「真田三勇士 猿飛佐助」が忍者物の初出
↓
山田風太郎出現(忍者の第1革命) 名作「甲賀忍法帖」
忍術から忍法に 歴史の宿命と忍びの掟の中でもがく忍者集団
↓
白土三平 歴史ものから階級闘争へ(忍者の第2革命)名作「忍者武芸帖」「カムイ伝」
「サスケ」「ワタリ」
忍法のビジュアル化&思想的深化 全共闘、同和運動等のバイブルへ
↓
横山光輝 忍者の大衆化 (忍者の第3革命)名作「伊賀の影丸」「仮面の忍者 赤影」
内容的には丸パクリ(絵は手塚治虫、ストーリーは甲賀忍法帖等色々)
革命というほど革新性はないが、ストーリーテリングや構成、キャラクターが
上手すぎ、原稿料は手塚を抜いてトップだった。
↓
超能力漫画の出現(バビル2世、幻魔大戦 等) 忍者漫画の終焉 以後は細々と
聖人伝説などの類じゃないの?
少し調べてみて
『聖人 水上を歩く』 <忍法の歴史 番外編 世界に広がったNINJYA>
・「007は二度死ぬ」 タイガー(丹波哲郎)率いる忍者軍団大活躍
(国宝姫路城を傷だらけに)
・燃えよ忍者 ショー・コスギ ここら辺から日本の忍者イメージを離れて行く・・・
・忍者タートルズ
・NARUTO ← これ、面白さがわからんのだが・・・
・ニンジャスレイヤーズ
千葉、伊賀、甲賀など、海外観光客に大人気。日本人は「忍者はどこにいるの?」と
聞かれても困ってしまうが、それも勝手に海外では「日本では公式には忍者はいないことに
なっているから、日本人に質問しても本当の事は教えてくれない」ということになってるらしいw
また、千葉県の忍者道場は世界に15万人の生徒がいるんだってw イランはもともとチャドルの
国だから親和性があるのか、忍者部隊3000人育成中だとか(藁)
もう日本の手を離れて独り歩きしてしまっている。 以前新聞で読んだけど、滋賀県の琵琶湖周辺で自衛隊と在日米軍が合同演習をした後、米軍が本物の忍者を見たいと言ったので、伊賀上野の忍者アクションチーム「阿修羅」を呼んでショーをおこなったら、アメリカ兵達は大喜びだったって すっぱ抜くは忍者の別名からきた言葉なのだそうです。
秘密をあばくこと、出し抜くことからきています。
南北朝時代、楠木正成は忍者を使って敵の情報を集めていたと記録に残っています。
忍者は当時「透波」(すっぱ)と呼ばれていたそうで、彼らは敵方の様子をさぐり
その秘密を暴露する仕事を請け負っていました。それを元に、戦国武将たちは
お互いを信じきれない時代を乗り越えようとしたのです。
この透波の行動力が、あまりにも素早く意表をついたものだったことから
「透波のように出し抜く」という言葉が生まれ、それが時代を経るうちに
「すっぱ抜く」になったといいます。 しかし、あの黒い忍者装束を着た忍者の
ステレオタイプが固まったのはいつごろなんかの?
映画史的にはもう無声映画時代のチャンバラものでは
ああいう忍者のキャラクターは確立しており、
フイルムカットを逆用した空中消滅や、
逆回転による重力無視ジャンプなど、
世界の特撮のルーツとなるような技を駆使していたようだが。 そもそも「にんじゃ」という呼称も昭和以降に使われるようになったもので、
もともとは「しのびのもの」や「しのび」という名称でした。また、忍者が
活躍したのは戦国時代ですが、彼らの役割は実は戦闘員というよりはプロの
諜報員だったのです。敵を攪乱するために火術を使ったりすることもあったようですが、
一番重要な仕事は、味方の大きな損害を防ぐために、敵の城に忍び込んだり、
敵陣に紛れ込んだりして、兵糧の残り、城の構造、敵の人数などの情報を取って
戻ってくることでした。そのため装束もわれわれが一般にイメージしているような
黒装束ではなく、農民や武士などに紛れても目立たない柿色や紺の衣装を身につけて
いたとされています。 芸能界の話で恐縮ですが・・・・
1962年TBS系で放映された「隠密剣士」内容は正統派の時代劇であり、登場するさまざまな忍者や忍術も
リアリティがあるが、これらは脚本家・伊上勝のアイディアによるものが多く、本作で彼が培ったものは
後年、脚本を担当した『水戸黄門』『仮面の忍者赤影』『仮面ライダー』などに活かされたとされている。
また、「忍者の刀の構え方」や「卍型の手裏剣」などは企画担当の西村俊一の考案によるもので、
これも後続の忍者物ドラマなどに踏襲された。さらに「水蜘蛛の術」を初めて映像化した作品と
されており、こうした映像によって一般的な忍者のイメージを確立したとも言われる。
制作進行の野木小四郎は、路線変更にあたって伊賀や甲賀へ赴き、忍術の研究を行ったと証言している。
時代劇でありながら、数人の忍者が乗る「潜水艦」が登場したこともある。これは江戸時代に実際に
伝えられていた「龍宮舟」と呼ばれる、木造で船首と船尾に竜の頭部をあしらい、水中を進むとされた船に
ヒントを得たもので、古文書に依拠している。
この「隠密剣士」は、後年「ザ・サムライ」というタイトルで海外でも放送され
オーストラリアや東南アジアで絶大な人気を集めました。 牧冬吉さんが言っていたが、忍者が剣を逆手にもって戦ったり、左手に手裏剣を何枚も重ねて次々と右手で投げるのは、彼が「隠密剣士」で始めたと。 商人などの風体で領内に入り込んで情報収集する点は、らっぱ、すっぱと変わらんだろう
それで、隠密を忍者の一種としてカウントするか否かは貴方次第 もう15年ほど前の話ですが、「仮面の忍者赤影」に疑問を投げかけた人がいます。
○赤影って本当に正義の忍者?
「仮面の忍者 赤影」は正義の忍者ということになっていますが、赤影は織田信長や豊臣秀吉に
味方をして、金目教や魔風忍群と戦い、滅ぼしています。金目教が一向宗などの宗教勢力、
魔風忍群が風魔忍者すなわち小田原北条氏に味方した勢力と理解するならば、赤影を始めと
する飛騨忍者達は、はまさしく信長,秀吉の天下統一に味方した勢力ということになります。
信長が行なった「比叡山焼き討ち・三千人の門徒虐殺」「長島一向一揆殲滅・虐殺」等々を見れば、
信長が正義の武将などとはとうてい言えないことは明らかです。秀吉の朝鮮出兵もまた同じです。
甲賀幻妖斎とどこが違うのでしょう。本当に赤影は正義の忍者なのでしょうか? また、
信長は本当に飛騨忍者をその後も重く用いたのでしょうか?」
もちろん私にとって仮面の忍者赤影は正義のヒーローでしたが、
こんな質問をされると(本当のことなので)、複雑な気持ちになります。
純粋に楽しめた子どもの頃に戻りたい。 宗教というものは毒にも薬にもなる。既存の宗教だけではなく滋賀の南深い山中には今でも怪しげな新興宗教が存在する。既存の宗教でもリーダーが替われば毒に変化する。作者の目の付け所は意外に斬新だ いわゆる解放闘争から見れば一揆は善で、
武力弾圧は悪だが、殆どの一揆には南蛮人のスポンサーが付いていたとか。アラブの春を見てごらん。
時には強いリーダーが必要 主題歌で「どんな顔だか知らないが」と歌われているが、赤影(坂口祐三郎)は
一般民に変装しているときには「しのびのもの」らしく目立たない服装で素顔を
さらしている。坂口は、めっちゃハンサム。
赤影のイメージが強すぎたのは彼にとっては不幸だった。
視聴者は赤影でない坂口祐三郎を想像できなかったのだろう。 別にそんなこと思わんが。
悪はテレビ局と映画会社。
そのコンテンツを大事にするために、
役者さんの人権を平気で踏みにじった
んだよ。
まあ外国でも同じ悩みはあって、例えば
ボンド役で、その後も別に成功したのは
コネリーだけ、とかね。 >>77
日本の近代化を大きく進めた人物として信長秀吉が描かれてたって
事じゃない?実際そうだし。赤影が松永弾正の手下じゃ正義の味方に
はならないwww
実際に戦った門徒衆は解放運動的でも、指導者層は武士と同じ既得
権益の防衛闘争だったわけで。加賀なんて独立することで前より
生活が悲惨になったそうな。
金目教、ギヤマンの鐘、とかなかなか設定が面白い。白土三平じゃ
こうはならなかった。幻妖斎なんてのも悪役として秀逸だし。
さすが横光w 「仮面の忍者赤影」を盛り上げているのは、冒頭のナレーションと
テーマ曲「忍者マーチ」だろう。
特に「忍者マーチ」は数ある番組主題歌の中でも秀逸。
個人的には昭和のマーチ(行進曲)の中ではベスト3に入る
@東京オリンピックマーチ → 昭和の金字塔
A愛国行進曲 → あの「森友学園」が経営する幼稚園の園児に歌わせている。
B忍者マーチ → イントロの躍動感・爽快感は半端ではない。 赤影のイメージが強すぎたというのは、周囲のやっかみ。山城新吾も白馬童子の印象が強すぎたと言われた。坂口さんはそれに自分が洗脳されてしまって赤影を否定するようになったのが悲劇。
役者さんは油ののった時にどんどん使わないと、精神的にも技術的にも錆び付いてしまう。 いや同じことはみんな言うでしょう。ウルトラマンの黒部進、
セブンの森次、仮面ライダーの藤岡、若いころはニュアンスの
差はあれいろんな役がしたいって言ってたよ。
オダギリのように明確にディスった奴は流石に東映から干された
けどねw
でもまあ、そういう時代でもあったのは確か。お子様向け俳優を
下に見る視聴者の風潮もあって。
まあ難しいよね。日本のヒーローはお子様向けだから。 特撮技術は現在のものと比べものにならないほどチャチですが、
なんだかそこが良いのです。
リアリティがあればいいというものでもない。デタラメおおいに結構なんです。
太秦に代表されるチャンバラ時代劇の伝統+大魔人等の特撮という東映映画のエッセンスが
ぎっしり詰まっていて、見るものを飽きさせません。
DVDを見ていた時妻に、「こんなもの見てたら、日本史が分からなくなりそう」と言われました。
でも違いますね。これを見たら正史も知りたくなるだろうと思います。
現在放映されているNHKの「精霊の守り人」とか小難しくて、とても見る気がしません。 赤影のヘアスタイルは何だ
原始時代じゃあるまいし、縄文・弥生文化の時代から髪はぼさぼさにせず結うもの
戦さ兜をかぶるための月代も男意気の為せるもの
戦さに関係ない学者は総髪、仏僧は剃髪に決まってる
髷も結わないぼさぼさ頭は非人のするもの
(高杉晋作のざんぎり頭写真があるが、あれは反対派閥によって牢獄に入れられた際に頭を剃ったものが伸びてきたもの)
赤影はどうしたことだ
ぼさぼさ頭を避けるためか鬢付け油を全体になすりこんで梳かしてはいるようであるが、髪をまとめて結わえることをせず、不思議な頭をしている 忍者もの(密偵・スパイ・隠密物)の系列は戦国時代や徳川時代じゃないと
通快娯楽劇にならないのかねぇ。
この種の権力の陰になって動く人たちは、明治・大正・昭和
戦後期、平成になってもいると思うのだけど、
明治時代の密偵ものとか、昭和戦前期のスパイ・工作員物は
通快娯楽時代劇にはならないもんなぁ。
中野学校の話だって、北朝鮮はリアルで工作員教育に
利用しているのだしな。 赤影の髪はもちろんカツラなんですが火にあぶられたり水に浸かったりと
激しい撮影に耐えるため、熊の毛で拵えています。このカツラひとつで
当時で確か200万円くらいしていたらしいです。
ちなみに、赤影が仮面をとったときは凛とした普通のサムライの髪型です。 通快娯楽時代劇になるかどうかはわからないけど、明治・大正期の陸軍軍人
明石元二郎を取り上げたら、おもしろいスパイものになると思います。
明石は日露戦争中全般にわたり、ロシア国内の政情不安を画策してロシアの戦争継続を
困難にし、日本の勝利に貢献しました。陸軍参謀本部参謀次長・長岡外史は、「明石の活躍は
陸軍10個師団に相当する」と評し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「明石元二郎一人で、
満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている」と言って称えたと紹介する文献もあります。
具体的にいうと、明石の工作により、軍隊が労働者のデモ隊に発砲する「血の日曜事件」が
首都・サンクトペテルブルグで起き、ロシア革命につながったのです。
長期にわたる日露戦争は日本の国力の許すところではなかったのですが、ロシアでタイミングよく
革命が起きたところでうまく講和に持ち込んだという教科書の記述は間違いではありませんが、
実はスパイ工作によって歴史が動いたとも言えるわけです。 特撮板の赤影スレでやれ チンカスども
おまえらは場違い >>1
おまえは赤影の時代背景を語るのが目的ではなく、テレビ番組{赤影」を語りたいクチだな。
わしも特撮板に行くことはあるし赤影スレものぞいたことはある。赤影は面白い番組だ。
だが、おまえが今やっていることは 板のルール違反だ。
純粋に赤影を通した戦国時代を語るならいいが、番組「赤影」を語りたいならよそでやれ。
おまえの軸そのもが板違いである。だから、キカイダーとか坂口を語りだすレスも来る。 スレを立てた者です。
レスが付かないので一旦、中止にしたんですが、
日本史も赤影も好きという人が多いのか、
レスが伸び続けています。
また赤影は50年前の作品ですので、すでに歴史になっています。
明確に板違いのルール違反とまではいかないでしょう。
1560〜1570年頃が舞台かと思いますので、その時代のことや
昭和の高度成長期のことを大いに語りましょう。 戦国大名が割拠する世ではやはり全国ネットの番組というのはなかったのでしょうか
ちなみに私の地方には仮面の忍者赤影はネットされていなかったので見たことはありません それは残念でした。子どものときに見た方の感想を載せておきます。参考にしてください。
○神奈川県の黒岩祐治知事の感想
小さい頃、父親手作りの忍者装束で、ボール紙の手裏剣を飛ばして遊んでいました。
その頃の忍者スターが赤影。当時は(見ていたテレビが)白黒テレビで、
どんな赤だったか分かりませんでしたが(笑)
○三重県の鈴木英敬知事の感想
子供の頃、再放送でしたが何度も見ました。青影の「だいじょ〜ぶ」という
ひょうひょうとした姿や、白影の大凧に乗って活躍する姿は今でも印象に強く残っています。 あの時代は忍者ブームだったからねぇ。
あの時代でもそうだったと思うが、テレビ番組に影響させて
ガキが馬鹿なことをやっているとのクレームが殺到しただろうなww [仮面の忍者赤影」の中で次の俳優が演じた歴史上の人物を答えてください。
@ 大辻伺郎
A 里見浩太郎
B 倉丘伸太郎
全部正解できたら歴史博士(?) >>97
簡単すぎだが、マジレス
1.木下藤吉郎
2.竹中半兵衛
3.織田信長
戦国時代はそれまでの価値観がひっくり返り、誰でも努力し知恵を使えば
成功する。秀吉のように。だからドラマとして人気がある。
1960年代から1970年代は戦後の焼け跡から少しずつ経済が復興し、将来を担う
子供達に希望を与えるため、4大出版社が週刊漫画雑誌を、女の子向けと
男の子向けに始めた。題材のテーマは勇気、努力、友情、正義、協力、愛だ。
面白いワクワクする話を読みながら、こういったものを学んでいった。
「赤影」も同じ。作者の言いたいことは赤影に言わしている。
「最後まで諦めるな」「正しいものが勝つ」
だから大人になってからも懐かしいし思い出が詰まっている。
人間は男女を問わず、いつまでも子供の心を持っているものだ。 大正解!
赤影は真面目な正義の味方。
髪型はカチッとした(七三の)横分けです。
それは、いわば「真面目」の象徴だったといえます。 赤影は子供達の理想の姿。このように育ってほしいと。
賢く強く正義感にあふれている。
子供達の目線は青影。赤影に憧れ白影に甘える。でも二人と一緒に悪と戦う。
白影は二人を見守り助ける頼もしいおじさん。
赤影の髪型は元々は漫画版に出ていたような長めのショートカットが風にたなびいている。
でも汗や水ですぐにぺっちゃんこなって形が保てないので、硬い熊の皮になった。
ついでにいうと忍者衣装も黒のとび職のズボンではなく、ピッタとしたスキーのタイツ。
これはいくつかデッサンを書いて小学校に持って行って、子供たちに選んでもらったとか。
45歳の赤影さんもだけど、66歳の白影さんも当時のタイツをはいても様になっていたね。
青影さんだけどうにもならない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています