>>719
六代義教の頃、諸大名の子弟を側近に取り立てつつ、相続に介入して自分の側近を跡取りに押し込むことが多かった

その意図を見越して先手をとって、総軍側近に行ってる方のに家臣らが接近して、そっちを後継にと願った某大名家では、逆にそっちの側近の方が不適格とか言って排除されたが。


その介入の果てに叛乱を起こされて将軍横死、直前に家督を逐われてた畠山持国が叛乱による混乱を利用して弟と家臣を倒して家督復帰したりした
後の畠山家家督問題の原因もこのときにできたと思われ。
(持国に子どもが生まれなかったから弟を跡継ぎに指名したってのはデタラメで、上記混乱に際しての妥協で跡継ぎ指名したと思うんだよ)

義政は祖父義満と父義教に対する尊崇が強かったからマネして大名家督に介入しすぎてたんだよ
特に斯波家の家督なんか、自分の言うこと聞かんから廃嫡とか強権すぎた