逆だろ。 別に新しい組織(幕府)を立てたから貴族社会に打撃を与えたわけじゃあない。
貴族社会のパイ(官職や本家・領家職、知行国など)が平家に横取りされたわけだから
こりゃあ既存のエスタブリッシュメントには打撃だ。
それに「幕府」つーコトバが一人歩きして現代人に勘違いを与えているが、 鎌倉幕府つーのは、
関東御成敗地と源家の家人(これを御家人と呼ぶ)を管理する源家の家政機関なんだぜ。
摂関家の家政機関と同じ機構である。(政所ー問注所ー侍所)
まあ、総追捕使という軍事・警察職を持っているところは大きく違うがね。
そう考えると平家の家政機関と鎌倉「幕府」の違いもそんなに差があるものではない。
平氏政権も国地頭や守護人も持っていて、これを六波羅「幕府」と呼ぶ人もいる。
武家政権が一通り成長・発展し、一応の完成をみるのは足利義満の頃。 それまでの武家政権は奥州藤原氏や木曽義仲も含めて過渡期の政権と見做すべきである。
清盛ー頼朝ー義満の流れは信長ー秀吉ー家康のラインと相似形と捉えれば理解しやすい。
大体 中世の始まりは12世紀初頭〜鳥羽院政期と言われているし、鎌倉「幕府」の先駆性と後進性を冷静に見れば、
清盛への見方も少し変わってくると思うが、どうかな?

>>104
なんか40年位前の平氏政権観だなあ。80年代後半でもそんな解釈はすでに古かったぞ。