天皇制と身分制度について持論を吐き出すスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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『 日本における「身分」や「家格」は天皇家との距離で決まる。
日本人はすべてこの物差しで<格付け>される。』
このテーゼは「宮中席次」「叙勲制度」「菊栄親睦会」という形で
華族制度廃止後の現在にも当てはまる。
日本人の身分意識、家格制度と幕府 天皇制と庶民、その他あれこれと
スレタイや>>1に少しでも引っ掛かってたら良し。一家言お持ちの方々、
胸に秘めていた持論を吐き出して下さい。(近現代の話題OK) 47 ちょっと誤字がいくつかあるがすまん。得意の脳内補正してくれ 馬鹿が論理的限定も付さず不用意に「源氏の嫡流」などとほざくから突っ込まれるんだろ
基本的なわかりきった話をさも自分だけしか知らない話かのように語るのもいかにも間抜けだ
ちなみに源氏の長者は源氏の筆頭公卿が占める職であって嫡流という意義はない
また村上源氏中院流の嫡系は官途などを勘案すれば久我であると考えられる(ちなみに久我祖の通光は土御門祖の定通の同母兄のはず)
土御門はそれに次ぐが堀川とどっこいだろう
通親が土御門と呼ばれていたから嫡流と勘違いしたのかね >>49
あーもー わかったわかった。 足利や頼朝の話題をすれば それは頼義流か河内源氏のハナシと世人は読み取る、と
思っていた俺がおまえみたいなバカの???なツッコミを予想できずに「論理的限定」(←ワロた)を
ちゃーーーーーーーんと わかりやすーーーーーーく 書かずに言葉足らずだったのが悪かった。
ていうか、
>基本的なわかりきった話をさも自分だけしか知らない話かのように
書き込んだのはおまえさんのココ↓
>そもそも六孫流の本来の嫡流は頼光流で
そんなもん 誰でも知ってるがなww鎌倉将軍家のハナシをしてるのに誰が摂津源氏の話をするのか。
当然 頼義流か河内源氏のハナシやがな。
>また村上源氏中院流の嫡系
はいはい、土御門通親の後裔という意味で 端折って「土御門家」って書いちゃったよ。
ようするにおまえさんは「源氏」を論理限定していないと他人さんを攻撃しているが、
「源氏」には六孫流以外にもあるぞ、という批判ならわかるがそうでもない。
「源氏」を清和源氏まで脳内補正しえおきながら、もうちょい踏み込んで頼義流までオツムが至らないお前さんの方が
マヌケだろ普通。 やれやれ
むしろ「源氏」という開けっ広げで放漫極まりない茫漠たる言葉と実際に語っているらしい頼朝流・義光流界隈の間を取って清和源氏六孫王流にまで限定してあげたんだがね
最初>>38の「天下を取った者が源氏の嫡流云々」というナイーブな命題を見て
「もしかして源氏と言ったら清和源氏の頼朝周辺しか思い浮かばないウスラ馬鹿かな?」と思ったくらいで(この発言を見たらそう思うのが当然だろう)
それゆえ「知識がないのか視野が狭いのか」と言ったわけで
敢えて清和源氏の枠内に話を合わせてその上で「源氏の嫡流」などとほざくのは馬鹿丸出しだと言っているわけだ
ところで論理的限定という言い回しは記号論理学における限定を念頭に置いている(低学歴には思いも及ばないだろうが)
論理的思考力のない低学歴は自分の発言がどの範囲にまで妥当するかということを考える発想がない
それゆえ発言にその種の限定を施さずに放言して
突っ込まれた後から「こういう意味のつもりだった」と愚劣な言い訳をする
その程度の低能が自分の意図を忖度してもらおうなどは甘えるにも程がある
分際を弁えた方がいいよ 「たしかに俺は勘違いなつっこみをしたが、そうさせたのお前だ。だからお前が悪い。」
という話だな。 悔しさと自尊心が行間から滲み出る名文である。 >>44
皇太弟だと皇室典範を改正する必要がある。色々と面倒だったんだろう。
皇嗣殿下なら、法律をいじらなくてよいし。 >>54
おいおい自分の脳味噌の粗雑さや発言の迂闊さを他人に転嫁しようとしてるのはおまえだぜ
何と言うか自己紹介乙というところだな
「自分の脳内ではそういう設定でした」なんて本当に知能の低い人間じゃなきゃ言えないよ 喧嘩両成敗でおまいら双方とも知能が低いと自覚せよ 所仰如件 上皇 △→太上天皇
上皇后 ×→皇太后
上皇職 ×→院庁、あるいは東宮職にあわせて仙洞職か
仙洞御所 ◎
皇嗣殿下 △→皇太子、皇太弟、儲君(ただし皇子でなく皇弟にも用いられるかは不明、明治までは皇族の子を天皇の養子としたうえでの治定)
皇嗣職 ×→東宮職(天智天皇は弟を東宮としたから東宮は使用可) スレが荒れるのは大抵 不用意な悪態からはじまる
>>41>>45>>49>>53>>56
頭が悪いのか
もっとアホだと
馬鹿が 間抜け
ウスラ馬鹿 低能 低学歴
脳味噌の粗雑 知能の低い人間 崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。
つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。
それがいるのだ。
@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト 生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト 生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト 生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ 生きてたアマ「トヨ」ツが女王
見事にヒメとトヨの時代。
そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。
これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home 源氏嫡流(仮にそのようなものがあったとするならば)が摂津源氏か河内源氏かはともかく、武門の主流は京都を活動基盤とした頼光の弟・頼信にはじまり坂東へ勢力を扶植し、武家棟梁となった河内源氏のものとなる。
後に河内源氏の流れを汲む頼朝が鎌倉に幕府を開くが、源氏嫡流意識なるものはこの頼朝が、武家の中での自己と自家の地位を特別視するために作り出したものともいえる。
そして頼朝の先祖を遡及し、頼光の弟の頼信にはじまり、頼義、義家と続く河内源氏を源氏嫡流と見るようになったのであろう。 日本には、天皇制も身分制も無い。
区別が有るだけです。
区別とは差別では無い。
出来る人は出来るが出来ない人は出来ない。
平等社会ではどうでしょう?
私に出来る事がお前には出来ない。ここに差別が生まれる。
平等社会では、同じでなければ成らないのだ。
日本は対等社会出した。
私には出来ない事がお前には出来る。
お前に出来ない事が私には出来る。
ここに、お互いの尊敬と対等が有る。 本来、天皇というのは実在しないんだよ、
テレビに出てきて歩いていたり?
『天皇 人権ない』
説明しなくても、わかるはずなんだけど
『北斗の拳』
北斗や南斗、星座の話もそう
祭祀、代表者(祭祀権)というのも,
他の家だと思う 承久の乱が上皇方の勝利に終わっていたら、平賀(大内)氏が清和源氏の
嫡流という扱いになっていたと思う。
大内惟信は後鳥羽院に仕える軍事貴族となり、右近衛大将くらいの官位に
昇っていたのではないか。
源頼朝の系統が断絶し、源氏御門葉筆頭の平賀(大内)氏が没落したことで、
軍事貴族としての清和源氏は消滅した。
この「軍事貴族としての清和源氏が消滅した」ことが、源氏嫡流という意味も
消失させたように思う。 「仮にこうなっていたら」ということを考えてみることも大切。
そうすることで、史実を分析する助けになることもある。 承久の乱で上皇が勝っちまうという事は、久しぶりに院政が復活するということか。
しかし、院政そのものが多数の武士の上に元天皇が乗っかり、危ういバランス調整を行うという個人芸だからな。
後鳥羽上皇の次が続かないだろう。 院政は後鳥羽もしてるし、江戸後期の光格まで続いているのだが 横レス
>>171
そうではなしに治天が名実ともに日本国の支配者という意味でしょ。それは後鳥羽院が最後だろ。
参考 承久の乱は幕府内部の東西対決だった
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1459210896/l50 認識として価値のある命題は
「もし〜だったら、〜だっただろう。なぜなら〜」
という形をとる
この「なぜなら」の部分、つまり理由付け・根拠付けのない推論などは無価値
ただの妄想の垂れ流し >>70
承久の乱で後鳥羽院が勝っていたら、後鳥羽院が名実ともに治天の君となる。
関東の武家政権も後鳥羽院政の配下となる。そのとき、後鳥羽院は自分に
近い軍事貴族を介して武家を支配しようとするのではないかということだ。
その軍事貴族こそが、新たな「源氏嫡流」になるということだ。
ただし、この体制はいつまでも続かず、やがて史実に近い流れに収斂し、
軍事貴族・源氏嫡流も消滅するのではないかと思う。 足利と徳川が「源氏嫡流」という定義が不確かなものに価値を見いだして巧みに利用した。
征夷大将軍と同様、天下を取った者がその地位に就く。 他のスレにも書いたことなんだけど、
その天皇というの何のことなの
世間でいう、いまの天皇?という話だよ
たま〜にテレビなどに映る人の話 アッキーと言っても
昭恵じゃないよ
明仁だよ!
高島屋提供 皇室アルバムだよね? そもそも院政という語で院が最高の権力者である体制を指すのがアホ
多くの時代院政は摂関政治や武家権力と並立していた 「いまの皇室はニセモノだぞ」
これも有名な話でしょ、何も知らないとか わかりやすくいうと
「次の天皇はあなた」
こういうのは、誰が決めたりしているの? 神代か何かから続いている家らしいけど
誰も住んでいない地に、突如現れて、それが初代天皇? たとえ皇族でも、天皇から何代か離れた諸王になると、人臣の公卿より下の扱いに
なるんだね。皇籍がまだあっても、天皇から距離が出ると、尊貴さが失われて
いくらしい。 戦後の日本は東大国家だよ
皇族は私大卒ばかりで
開成高校を頂点とした偏差値システムでは
中程度の存在
なんだかんだ日本は平等 わが国は世襲身分制を廃止して、東京帝大を出た「天皇の官僚」が新たな学歴貴族となる
近代国家の道を踏み出した。
だが、現在では東大を出ていても、それほど報われなくなっているのではないか?
むしろ、地方大でもいいから医学部を出て、医師になったほうが有利な人生を
歩むことができる。医師こそが現代の貴族階級だ。
わが国の階級構造は、変化してきたように見える。 そうかな。まだまだ東大卒はエスタブリッシュメントだろ。 >>85
皇室が貴いのは日本の魔を払うからだからそれも当然
神職を継がない神主の家系や寺を継がない僧の家系と同じ
継がないのなら貴くはない 民珍党は女系宮家を作ろうと必死だが、そんなもの誰が貴い家系と思うのか?
民珍党は日本の害悪でしかない。 マスコミの騒ぎかたがよく理解できない?テレビ局や報道になんか圧力でもかけられているのか?
はっきりいって天皇は何の役にたっているのか?日本の象徴?だったら着物でも着て出てこいよ!
スーツだろ?
なんかマスゴミに体よく騙されているとしか思えない?視聴率だけとも思えない
マスゴミは右翼主体なんだな!
最低の身分は確保されているというけどw最高の身分を生まれつき保証されているとしか思えないが?
まあいい、しばらく調べてみる・・・過去を調べても無駄だと思うが・・
過去を調べて役に立つのは地震と津波の歴史くらいだろうw 日本の天皇というのは、
コジキだと言っている人がいたけど 船氏 秦氏・・・
このような一族や家があって
系統が違うとか 神武天皇あたりでおかしくなったみたいだな、なんかあったみたいだ・
いわゆる朝鮮に暗殺され、すり変わられてしまったということだ・
そして朝鮮人が天皇になり変った・・
今となってはもう文献だけでは調べようも無い
たとえそんな事件がなかったとは言え各天皇陛下に超人的な能力があるか?どうか?
今の事実をみればわかるだろう?
今は政治も変える事ができない、もうそろそろ税金を無駄遣いするより
天皇制は廃止にするほうが正解とおもうぞ 日本の摂関政治期までの古代貴族政治は魏晋南北朝のパクリ(笑)
実力あっても官位と公家の支持を得ないと、伝統の易姓革命や幕府運営はムリゲーな社会 源頼朝と比べて平清盛の歴史的評価が低いように思う。 本格的武家政権「幕府」を創設した頼朝と比べられたら、
どんな武将も格下に見られるのは致し方が無いが、貴族政治に打撃を与えて、その後の社会構造を転換させたのは
清盛の手柄だろう。 それを簡単には教えられんな。 まず、親方に弟子入りして3年程雑用をこなしてからだ。 >>99
平清盛は娘を入内させて后に立て外孫を天皇にするという
藤原摂関家になり替わろうとしただけであって
新しい組織を立ち上げたわけじゃないだろう
貴族社会に打撃というわけでもない
そもそも平家も源氏も受領クラスの都の中流貴族であって貴族社会の一員 逆だろ。 別に新しい組織(幕府)を立てたから貴族社会に打撃を与えたわけじゃあない。
貴族社会のパイ(官職や本家・領家職、知行国など)が平家に横取りされたわけだから
こりゃあ既存のエスタブリッシュメントには打撃だ。
それに「幕府」つーコトバが一人歩きして現代人に勘違いを与えているが、 鎌倉幕府つーのは、
関東御成敗地と源家の家人(これを御家人と呼ぶ)を管理する源家の家政機関なんだぜ。
摂関家の家政機関と同じ機構である。(政所ー問注所ー侍所)
まあ、総追捕使という軍事・警察職を持っているところは大きく違うがね。
そう考えると平家の家政機関と鎌倉「幕府」の違いもそんなに差があるものではない。
平氏政権も国地頭や守護人も持っていて、これを六波羅「幕府」と呼ぶ人もいる。
武家政権が一通り成長・発展し、一応の完成をみるのは足利義満の頃。 それまでの武家政権は奥州藤原氏や木曽義仲も含めて過渡期の政権と見做すべきである。
清盛ー頼朝ー義満の流れは信長ー秀吉ー家康のラインと相似形と捉えれば理解しやすい。
大体 中世の始まりは12世紀初頭〜鳥羽院政期と言われているし、鎌倉「幕府」の先駆性と後進性を冷静に見れば、
清盛への見方も少し変わってくると思うが、どうかな?
>>104
なんか40年位前の平氏政権観だなあ。80年代後半でもそんな解釈はすでに古かったぞ。 >>105
幕府というのは独立した司法、立法、行政権を持って初めてそういえるのだが
平氏政権はそんなものは持っていない
出世して既存の朝廷を牛耳ったというだけでは幕府とはいえない
実際に後白河法皇のような天皇家のトップの前では平氏政権はあっという間に潰れてしまったし
平家が幕府を持っていたなんてとんでもない >>107
「幕府」というのは後世の呼び名(江戸後期)であり、武家政権自体がその時々の政治状況を背景にした自然発生的なものだ。
当然、「幕府」の定義なんちゅうものは歴史学上存在しない。武家政権各々に対しての評価は個別さまざまであり、
とりあえずは征夷大将軍に就いている政権を「幕府」と呼ぼうぜ、と明治時代の歴史学で決定された。
まず ↑を基本常識として話を進める。
そうすると、鎌倉政権が「独立した司法・立法・行政権」を持ったのはいつか?という疑問が沸くが、
その前に「独立した司法・立法・行政権って何よ? とそっちが気になる。
鎌倉時代と言えども国の基本法規は律令であり、その下位法に公家法や武家法が位置する。
荘園内のもめ事は本所や領家に裁判権がある。これが他人の荘園にまたがると国家マターになる。
御家人同士であると、主人である鎌倉殿マターとなる。 自分は中世の裁判史にとんと詳しくないので間違った認識をしているかもしれないので
違っていたらご教授願いたいのだが、御家人と非御家人の裁判が幕府に持ち込まれるようになったのは、
鎌倉中期以降ではなかったかと思う。御成敗式目の法理が国衙領・公家領に及んだ時期もよく知らない。
それと、「独立した行政権」というのも意味がよくわからない。 守護職の設置を指しているのかもしれんが、
まず、文治の勅許は1年限りの地域限定であり、本格的な設置は1190年である。また守護職の原型は惣追捕使であり、
鎌倉政権の特徴はこれを全国に常置したことにある。 これは平氏政権との決定的な差である。
ただこの惣追捕使は、実質的には朝廷から独立した職であり、朝廷の統制の及ばないものであることは事実であるが、
これとて朝廷の許可を得て設置された既存の役職でもあり、そんなにオリジナリティのある職種ではない。
独立した組織を言い出すと院庁がまさにそれだ。 鎌倉殿の家人や所領を管轄する家政機関がいわゆる「幕府」で、
上皇の所領や北面・西面の武士を管轄するのが院庁である。
鎌倉幕府のプロトタイプは院政である。
摂関家も本所として膨大な所領を有し、荘園には預所を置き家司を派遣して現地支配にあたらせもしている。
「幕府」はこれらの発展系という基本認識が共有できないと、俺が何言ってるかさっぱりわからないだろう。 教科書の悪い所は、ひとつのワードで本来違うものを一緒くたに扱い、学生にそれらが同じものと錯覚させることだ。
俺は「鎌倉幕府」という単語を出来るだけ使わす鎌倉政権と書くようにしている。 「幕府」の語句はどうしても江戸幕府とイメージが重なり、
全国の土地・人民を一元支配している錯覚に陥る。 大体、中世の土地制度の基本は荘園公領制であり、
全国の土地は国衙領と荘園の二本立てで、荘園においては本所・領家・荘官(または地頭)の多層支配である。
公家法も武家法も錯綜している。 鎌倉殿は関東御分国・関東御料など(総じて関東御成敗地)を持つ知行国主・荘園領主である、
という基本性格を考慮せずにあたかも朝廷に代わる新設の全国政権と捉えると本質を見失ってしまう。
明治の先学が国民教育に「幕府」の語を広めてくれたおかげで、小学生にも解り易い日本史教育が出来たが、
大学・社会人レベルの歴史勉強には子ども時代に植え付けられた先入観を取り払うのに苦労する。 概ね同意だけど
平家が社会構造をどのように転換させたの? 社会構造を転換させた <誤>
社会構造を転換させる嚆矢となった<正>
週刊誌の見出しにあんまり突っ込まんとってえな
平安末〜室町中期にかけて荘園・公領の支配権が公家→武家に移ったでしょ。
ここに風穴開けたのは間違いなく平氏である。 何が言いたいかというと、 鎌倉開府(イイクニでもイイハコでもどうでもいいが)によって
中世の幕が開いたわけたわけではなく、 歴史には連続性と不連続性がある。 従来の歴史観では鎌倉開府については
不連続性を強調しすぎるキライがあると以前から考えている。
日宋貿易の意義についても語ってみたいがそれはまたの機会に。
ちょいと清盛さんをヨイショしてみました。 >>97を読んで>>99思いついたけだ。
>100氏
いつも突っ込んでくれるが、君もたまには面白い事書けよ。自由にやっていいスレだ。
こんな天気のいい昼間に2ちゃんねるやってるくらいなんだから、何か世に問いたいことがあるだろ?
エンジョイしようぜ。 >>111
そもそも平家に地頭や守護っていなかったろ。
それじゃやっぱ武士の政権じゃないよ。
やっぱり平家は、貴族化した元武士の政権だよ。
飽く迄藤原とかの延長線上で、まぁ違いは武士に対して動員権を持ってたってくらいか・・・ 歴史の重要性を知らない若い世代にとっては天皇なんざどうでもいい事
年金制度>>>>>>>∞>>>>>>>天皇なんだよ
報道が大騒ぎしても・・何?だろw眞子様?どうでもいいよw
佳子様は可愛いからまあw結局どうでもいいけど 清盛、師直、信長 この3人は時代を切り開いた先駆者
新興勢力の代表として旧来の勢力と対峙し時代を変えようとした
しかし、志半ばで非業の死を遂げ、その成果も中途で終わった。
この3人に共通するのはそれまでの既成概念にとらわれない新発想と
それを推し進める腕力である。
戦争に強く、経済に明るい。 その当時としては革新的指導者であった。
清盛ー師直ー信長 この3者を線でつないでみると、一つの方向性が浮かび上がる
それは天皇制への挑戦である。
旧来の支配層を一掃し、新しい身分秩序を打ち立てようとした彼らは旧勢力との戦いに負け、滅んだ。 平清盛・・・・・後白河法皇 以仁王の臨時を受けた源氏一門が決起
高師直・・・・・北朝を重視する主君足利尊氏に誅殺される
織田信長…・家臣明智光秀の謀反により自害(一説には朝廷が黒幕)
こうしてみると、 この3人の失脚・死亡には天皇の影が見え隠れする 正親町天皇と信長は全くそりが合わなかったのは有名だが、信長は将来 天皇制の廃絶を考えていたとか
光秀と朝廷と謀って本能寺の変を起こしたとかなると小説の世界だわな。
さらに進んで、光秀は山崎の合戦後も生き延びて家康のブレーン天海になったと。
まあ、美濃源氏の土岐氏の出でもある明智光秀(将軍義昭の元側近)は旧勢力の出身であるし、
既存の勢力をバッタバッタと殲滅していく信長とは対極の人物ではある。
光秀が味方としてアテにしていた細川幽斎(守護家和泉細川氏)や筒井順慶(興福寺衆徒)らも旧支配層。
本能寺の変の黒幕では朝廷説が話としては一番面白いけどな。 奈良盆地に閑居した豪族達の連合体がやがて北海道を除く日本列島を統一しヤマト王権(朝廷)を樹立した。政権内でのバトルの結果、
7世紀半ばに大王家の覇権が確立、8世紀には藤原氏が朝廷の第一人者となる。
大王家や中臣氏(藤原氏)と同格であった古代豪族たちは滅亡や勢力失墜し
9世紀には大王家(天皇家)・藤原氏の周辺少数勢力に再編されていく。
先日、応天門の変を扱ったテレビ番組を観たが、やはりこの辺りで以後1000年続く日本の支配階級が最終的に固定化したのかなと思った。 >>97
魏晋南北朝以来の中国貴族社会は五代十国の戦乱でガラガラポンと相成った。
日本では戦国時代に平安末期以来の名門武家の相当部分が没落して武士社会においては新旧交代を見たが、身分社会の最上層部は何とか生き延びた。
頼朝・尊氏・家康らが興した「幕府」は日本の身分社会の“本丸”である朝廷・寺社勢力と宜しく手を握ることで長期政権を築くことが出来た。
平将門や木曽義仲を始め、大化の改新以来の旧支配層と上手く関係を持てない者は結局滅んでいく。
「日本の三大革命児」の躍進と末路はそれをよく表して興味深い。
平氏政権の誕生以来、武士に政治権力と経済権益を奪われた旧支配層は
途中何度かその奪回を試みるが結局は失敗しその精力をどんどん縮小させていく。
しかし、明治維新によって再び栄光を取り戻すことになる。
明治維新は徳川と薩長という二大武家勢力の政権交代であるが、
維新後は武士身分が廃止され、堂上家や宗教貴族は爵位を貰って華族となった。
700年に及ぶ“戦い”は旧支配層の勝利に終わったと言えるかもしれない。 いや、これからは分からないよ。
歴史に終わりは無いからね。
これからの政治で、如何様に勝者など変わる。 8等親も離れていて天皇になった後花園院…
崇光流が持明院統の嫡流なのは事実だが…
8等親離れても皇位につけるなら何でもありだなって思ってしまう コミー前長官なみの高身長か、あるいは頭が小さいのか>八頭身の後花園天皇 近代民法制定以前は親等でなく等親を用いていた
厳密には同じものではないから詳しくはぐぐれ 明治天皇、大久保利通、伊藤博文
この3人の指導者がいたことは日本にとって幸運だった >>125
後花園天皇は天皇の曾孫(3世)
称光天皇からは8親等離れていてもそれほど離れていない
今の旧皇族など男系20世ぐらい
親等でいえば40親等ぐらいいきそう 日本の身分制といえば
やはり江戸時代だろ。
で、その江戸時代の身分制を
打ち破って四民平等を実現
したのが明治天皇なわけだから
マルクスの階級史観にとっては
まったく困った存在だろうな。
日本の天皇は。 >>134
士農工商はもともと中国の儒教に出て来る職業区分だよ
ただ最近は歴史の教科書から身分制度としての士農工商の文字が消えているらしい
江戸時代は支配階級である武士とそれ以外の支配される側という身分差はあったが
農工商で身分の差があるわけではなかったと >>134
明治天皇は華族制度という新しい身分制度を創った。 皇族ー朝鮮王公族ー華族というカタチに
2000年来の日本の身分制の「完成形」を生み出した。
ここで指摘しておきたいのは財閥華族と朝鮮華族である。
公卿や大名出身の名家連中は自分たちを「皇室の藩屏」と自画自賛しているが、こいつらは単なるゴミ屑である。
大日本帝国の本当の皇室の藩屏は宮廷官僚と財閥、そして旧両班出身の朝鮮華族である。 >>125
後花園天皇は男系だと北朝崇光天皇の3世孫
悠仁親王が天皇の2世孫だから
男系で考えればいうほど遠くないのでは
皇統は全て天皇が基準だから
皇族の範囲も天皇の5世孫以内だし 女系を持ち出して
自分は明治天皇の(女系の)玄孫とか言っちゃうのはインチキだね 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
RCEVC 明治維新から日本はおかしくなった。 最近そんな気がしてきた。
この2,3年そういうデムパが多いせいか、洗脳されつつある。
自分でも怖い。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
MQ1 身分制度ってのはある意味では総エリート制度みたいなもんなんだよな
最初は適当に決めた身分でも数世代に渡って同じ仕事を続けてたら遺伝子が洗練されて
農民なら農業のエキスパートになるし職人なら工業のエキスパートになっていく
身分制度のない時代では人間国宝って言われてる人間の子供が
親の後を継がなくて違う仕事を始めて単なる凡人として埋没していく
世界が全部そうならいいんだろうけど、そうじゃない国とそういう国が競争したら
総エキスパートな国と総ボンクラな国のどっちが生き残れるかって話にはなるだろうな >>140
明治維新のメリット
・欧米からの植民地化をまぬがれた
・日本の人口は2倍になった
・富国強兵によって列強と肩を並べるまでになった
明治維新のデメリット
・徴兵制によって武士ではない平民からも戦死者が大量に出るようになった
・士族への恩給廃止、地租改正による増税、足尾銅山の鉱害などの締め付け
・日露戦争での戦費の膨大な借金、大東亜戦争での国土の徹底的な破壊を招いた
・敵国・朝鮮を復興させた たかだか70年の戦後民主主義ごときに曲がりなりにも千五百年以上続いた制度を
壊す傲慢さにむかっ腹がたつってだけ。
あと、上位に神が存在するヨーロッパと違い、日本では宗教的権威の頂点であり
国民意識をゆるやかに統合する存在として機能してきた側面もある。
維新・敗戦で急激に変化したとは言え、他に替わりになるものがないのは同じ。
マスコミや共産党ですら表立って皇室を批判しないのには、
国民の物言わぬ意志が背景にあることは押さえておいてもいい。 112革命的名無しさん2019/01/24(木) 03:15:37.81
俺が天皇家に生れたら?そして天皇に即位できたら?
神々の中の神の子孫としての特権を行使するに決まってるだろ。
時々健康にも気をつけながら豪華な食事をする。食べる米や野菜、
果物は無農薬有機栽培限定とかね。 天皇陛下はカップヌードルや
ハンバーガーを召し上がったことがあるのかと問う奴もいるが、
貴人の口にそんな不味い食べ物が合うはずがない。
庶民でなく名門貴族や武家の血筋の娘を皇后や側室にする。
俺に侍る女たちが俺の前に出るときは、みな平安風の垂髪で
女房装束の着用することを義務付ける。他に好みの女がいれば
召し上げたいが、身分の低い女が産んだ子どもは俺の後継者にはしない。
コラやAAなんかで毀損されたくない(不敬行為した者は覚悟しておけ)
からテレビや新聞には滅多に顔を出さない。戦前みたいに御真影を作って
学校や神社に飾らせる。まさに将軍様だな。ウハハハ。
いよいよ死ぬ前になって私は散々国民を苦しめたので懺悔しますと言って
キリスト教の洗礼を受けるかな。
113革命的名無しさん2019/01/29(火) 16:15:27.73
↑天皇も人間でしょう?何も特別じゃないよ。
114革命的名無しさん2019/01/29(火) 17:24:06.73
↑ 同じ人間でも、別格! 115革命的名無しさん2019/01/31(木) 02:28:21.64
冷泉天皇は儀式の最中に「こんな重い物は被っていられない」と
仰って冠を脱ぎ捨てて側にいた女官を御簾の中に引きこんでレイプ
したそうだ。仏門に入って法皇になった天皇も気に入った娘に次々
お手をつけたそうだし、後醍醐天皇も鎌倉幕府を倒す計画を練るために
連日乱交パーティを開いていたらしい。昔の天皇はセックスに困らなく
ていいよな。女房装束(十二単)って何枚も着てるから身動きしずらい
らしい。現代なら風呂に入れるから衛生面は問題なしでバカ殿感覚で
女官漁りを楽しめると思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています